最初の立役者モンテヴェルディ

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(3)】

クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)はイタリアのクレモナで生まれました。クレモナは、「ストラディヴァリウス」や「グァルネリ」などで知られるヴァイオリンの名器が生まれた街です。宮崎駿監督の「みみをすませば」で、天沢聖司がヴァイオリン造りの修行に行く街ですね。ちなみに天沢聖司の声は俳優の高橋一生さんが14歳の時に務めたそうです。

モンテヴェルディは1590年、クレモナから50キロほど離れたマントヴァ公国のヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの宮廷で音楽活動を始めました。マントヴァ公国は代々ゴンザーガ家が治めていました。前回のブログで出てきた都市の名前、憶えていますか?そう、フィレンツェでしたね。フィレンツェは、トスカーナ大公国の首都で、代々メディチ家が治めていたそんな時代。
 
イタリア地図
ヴィンチェンツォ1世の奥さんは、メディチ家の出身エレオノーラ・デ・メディチ。そんな縁もあり、メディチ家の娘、エレオノーラからすると自分の実の妹マリアが、フランス国王アンリ4世と結婚するというので、夫ヴィンツェンツォは、結婚式に参列しました。余談ですが、この時アンリ4世はフランスからフィレンツェに来たわけではなく、代理人との結婚式だったようです。高貴な方のこういった事情は、下々の者には理解できないところがありますね。このマリア、フランス名では「マリー・ド・メディシス」といいます。

この時領主のお供にモンテヴェルディが同行し、前回ご紹介した「エウリディーチェ」の上演に領主とともに立ちあいました。ヴィンチェンツォ1世は、画家ルーベンスや詩人タッソなど多くの芸術家を自身の宮廷に雇い入れていて、芸術家のパトロンを自認していました。マントヴァに戻ると早速「『エウリディーチェ』みたいなの、欲しいな」とモンテヴェルディに命じ、完成させたのが「オルフェオ」というオペラ。ギリシャ神話を基にしたオルフェウス(=オルフェオ)の物語です(ちなみにエウリディーチェはオルフェオの奥さんです)。1607年のことでした。

フィレンツェとマントヴァ。同じオルフェオとエウリディーチェの物語ですが、以下のような点でペーリの「エウリディーチェ」とは格段の進歩が見られます。
(1)オーケストラの指定楽器の数が増えていること
(2)抑揚に忠実だった音型を、劇的表現重視の音型に変化させたこと
(3)それまでにモンテヴェルディが培ったあらゆる音楽語法で作品を創り上げたこと

ヴィンチェンツォ1世も、さぞかしお喜びになったことでしょう。ヴィンチェンツォ1世はこの後のオペラ講座に登場していただきます。名前、覚えておいてくださいね。

ヴィンチェンツォ1世が世を去った1612年、モンテヴェルディはマントヴァを去り、少しの間故郷のクレモナで過ごしたのち、翌1613年ヴェネツィアへのサン・マルコ大聖堂の楽長に就任します。教会音楽を創る傍ら、市内に林立していったオペラ劇場のために数多くの作品を作曲。晩年2つの傑作オペラ、「ウリッセの帰還」(1641年)、「ポッペーアの戴冠」(1642年)をそれぞれ初演しています。

豆知識「モンテヴェルディ」

モンテヴェルディ、モンテ(=山)ヴェルディ(=緑)、日本語にすると、緑山さんですかね。同じく作曲家のヴェルディは緑さん。東京ヴェルディのチームカラーは緑ですね。公式にはポルトガル語からの造語とのことですが、イタリア語もスペイン語もポルトガル語も、遠い親戚のようなもの、なるべくしての一致かもしれませんね。