オペラ歌手が歌えなくなったら、公演はどうなるの?

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(23)】
オペラ歌手も人間、突然不調になったり交通事故に遭ったりして、出演できなくなる可能性もあります。そんな例をご紹介します。

1. 前日くらいまでに出演不可能になった場合

ウィーン国立歌劇場では、その日の公演が終わるころ、翌日の公演ポスターが張り出されます。何事もなければポスターのみですが、何か出演者にアクシデントがあると、このような紙が追加されて貼り出されます。
代役のお知らせ
代役表
大まかな意味は、「ミヒャエラ・ゼーリンガーは、突然の病気でエリーザベト・クールマンが『オルロフスキー』役を演じます。」です。
全体の配役はこんな感じです。
配役表
配役表
この日は大みそか。演目はウィーン国立歌劇場で上演される数少ないオペレッタ「こうもり」。チケットは高額にもかかわらず、即日完売。緑でぬったゼーリンガーの名前に★が付いていますね。これは、一番下のピンクでぬったところに記載があるのですが、ロールデビューつまり、「オルロフスキー役をウィーン国立歌劇場で初めて演じる」とあります。まあ、かなりのプレッシャーでしょうね。良い代役が見つかって、よかったと思います。

2. 当日急に…

この小さな紙が間に合わない時もあります。たいていの歌劇場には「アンダースタディー」とか「カヴァーキャスト」と呼ばれる代役歌手がスタンバっていますから、よほどのことがない限り代役を立てて上演します。
開幕のベルが鳴り客席が暗くなると、ステージにマイクを持った人品卑しからぬ人物が登場します。劇場支配人です。この時点で客席は拍手や口笛に包まれます。劇場支配人が出てくるときは、何か重大なアナウンスがあるときと相場が決まっているからです。たいていの場合、「今日○○を歌う予定だった△△は、病気のため□□が代わりに歌います」などとアナウンスします。ブーイングが起きたり、口笛が鳴らされたり。時には「こんな良い代役で良いの!超ラッキー!」ということも。
海外で長く活躍したオペラ歌手に聞いたところ、オフの日でも午前10時までは急遽の呼び出しにも対応できるようにしていたとのこと。代役でビッグチャンスをつかんだ歌手も大勢いますからね。

3. 開演後…

普通に始まって、第1幕が終わって休憩に入ったけど、なかなか再開のベルが鳴らない。どうしたのかと思っていると劇場支配人が登場し、「○○を歌っていた△△は、急遽歌えなくなりました。第2幕からは、□□が代わりに歌います」ということもあります。
またある時は「○○を歌っていた△△は、歌えなくなったので演技は行いますが、□□が代わりに歌います」ということもあります。これは、急遽歌うことになった歌手が演技できない場合、本来の歌手がステージで演技だけ行い、歌はオーケストラピットや舞台袖で代役歌手が歌うというものです。
「お客様の中に、○○が歌えるテノールはいらっしゃいませんか?」というアナウンスがあることも。
最悪な場合は、途中で打ち切りになることも。チケット代の返金手続きが大変そうですね…。

4. なかったことに…

ウィーン国立歌劇場のホームページには、膨大な過去の上演記録が公開されています。その中から、下の画像は、2015年2月23日に上演された「愛の妙薬(L’ELISIR D’AMORE)」の上演データです。ピンクのところにご注目ください。「宮廷歌手(KS)のニール・シコフが病気になったため、『ユダヤの女』からの変更」と書かれています。本来であれば、この日は「ユダヤの女(LA JUIVE)」の上演予定でしたが、急遽「愛の妙薬」を上演したのです。
愛の妙薬に変更
フロマンタル・アレヴィ(1799-1862)作曲の「ユダヤの女」は、フランス語のオペラで、「グラントペラ」に分類されます。初演当初は大変な人気作でしたが、現在ではあちこちで上演されるほどポピュラーな演目ではありません。しかしウィーン国立歌劇場は、1999年にこのオペラを上演に踏み切ります。登場人物の1人を演じたシコフの並々ならぬ役への没入により、上演は大成功をおさめました。その後彼は、このオペラを世界各地の歌劇場で歌うことになるのです。「彼が病気なら仕方がない、演目を変えよう」ということになったのでしょうね。シコフは、優れたテノールで「性格に難のある役」をやらせると天下一品だと先生は思っています。記録によると、この時「ユダヤの女」は、4回上演の予定でした。初日が演目変更され、2回目は見つかった代役で上演されました。結局シコフが歌ったのは、3日目と4日目だけだったようです。ウィーン国立歌劇場ではこれを最後に「ユダヤの女」は上演されなくなってしまいました。
このように、特殊なオペラや役柄の場合、代役がすぐに見つかるとは限りません。他のオペラでも同じで、代役が出演することによって上演の質が保たれない場合は、演目自体が変更されます。日々上演を続けている歌劇場なので、このような対応も可能となります。