【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(26)】
オペラ上演で一番大切な人って、誰だと思いますか?
いろいろな解釈ができると思います。指揮者、演出家、歌手…。お客さま?!
いろいろな解釈ができると思います。指揮者、演出家、歌手…。お客さま?!
先生が一番大切だと思う人は、「プロンプター」だと思います。聞き慣れない言葉ですか?これは英語です。「prompt」という動詞は「刺激する」とか「~を引き出す」という意味があり、「思い出させる」という意味もあります。政治家やアナウンサーなどのために、原稿を投影する機器の名前にも使われていますが、ここでは職名としてのプロンプターのことを説明します。
プロンプターの仕事は、演劇やオペラなどで、セリフを忘れた人が困らないようにこっそり教えることです。イタリア語では「Suggeritore(スッジェリトーレ[英語のsuggestionと似たような意味です])」、ドイツ語やフランス語では、「Souffleur(スフレール[「ささやく人」という意味があるそうです])」と呼ばれます。
さて、この大切な人はどこにいるでしょう?とんでもなく居心地の悪いところにいるのです。皆さんはオペラを見に行って、ステージの真ん中オーケストラピット寄りに、箱のようなものがあるのに気付いた人もいるでしょう。
この箱、「プロンプターボックス」と呼ばれますが、この中にプロンプターはいます。この箱は高さがちょうど人の顔の縦の長さです。あまり大きいと鑑賞の邪魔になりますので、顔の表情が、歌手から見えるぎりぎりの大きさです。ステージ側が開いていて、プロンプターはステージ側を向いて座ります。そして、歌手に向かって、歌い出しの歌詞やメロディーを、歌い出す少し前に歌手に伝えます。ささやくなんてものではありません。大声で叫ぶのです。
海外のオペラハウスの公演のライブ録音(特に海賊版と呼ばれるもの)には、このプロンプターの叫び声が聞こえるものもあります。また、指揮とのずれがあったり演出上の間違いがあったりしたときは、その指示もします。
ですから音楽と演出がすべて頭に入っていないとプロンプターの仕事は務まりません。若手指揮者が修行のために務めることもあるようです。有名なオペラやイタリア語やドイツ語のオペラであれば、プロンプターの声はほとんど気になりませんが、初演作品だったり難しいオペラだったり、チェコ語やポーランド語などの珍しい言語のオペラ上演の場合、上演中プロンプターの声を聞くことができますよ。カーテンコールの時に、プロンプターと握手をする歌手もいます。
ステージから見ると、こんな感じ。舞台美術に合わせて、貝殻の形にすることもあります。
「ラ・ボエーム」紹介のところで、ウィーン国立歌劇場のカラヤン指揮の初日公演が中止に追い込まれた話をしましたね。これは、このプロンプターが関係しているのです。当時カラヤンはウィーン国立歌劇場の総監督として、座付きの歌手だけではなく国際的なスター歌手を起用し始めます。それには、それまでウィーン国立歌劇場で行っていたドイツ語訳の上演ではなく、原語での上演が不可欠でした。「ラ・ボエーム」もイタリア語で上演と決められます。そこで劇場管理事務局は、イタリア人のプロンプターを雇うことにしました。イタリアではプロンプターは必須で、芸術的な手助けをする存在と認められていましたが、オーストリアではただの「カンペ」と同じ扱いをされ、劇場労働組合はこの採用を認めなかったのです。あくまでもプロンプターを芸術家として扱う劇場管理事務局は、初演当日プロンプターをプロンプターボックスに連れていきますが、劇場労働組合はストライキを宣言します。その結果、公演中止となってしまいました。座付きの歌手のアンサンブルでは必要のないプロンプターも、国際的なスター歌手のためには必要だったわけです。2日目の公演はプロンプターなしで行われました。この争いは法廷に持ち込まれ、結局劇場管理事務局の言い分が認められました。このことは、CDの解説書に詳しく掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の最後のオペラ「カプリッチョ」には、登場人物の1人に「プロンプター」が出てきます。彼のセリフをちょっと引用してみましょう。
「私がボックスに座って初めて、ステージ上の車輪が回転し始めます!」
陽の目を見ないプロンプターが一番大切な役割を果たすという、まさしく縁の下の力持ちですね。