~今月の作曲家~「プーランク」(2022年1月)

今月から「今月の作曲家」として毎月1回、オペラコンクールの第2次予選の自選役には選ばれていないオペラの作曲家を取り上げていきたいと思います。ブログ記事の公開日は、その作曲家の誕生日なので、思いを馳せる一日になれば幸いです。
ふじやまのぼる先生イメージイラスト
オペラは、作曲家にとって出世につながるジャンルの1つでした。出世のために若い時に作曲し、それ以降一切作曲しなかった作曲家もいれば、生涯にわたりオペラとともに過ごした作曲家もいます。逆にJ.S.バッハアントン・ブルックナーのように、1曲も作らなかった作曲家もいます。これは、生まれた時代や場所、生活環境などに左右されると先生は考えています。
では、最初の作曲家にご登場いただきましょう。
【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(1)】

プーランク

Francis Poulenc & Wanda Landowska
フランシス・プーランク
(1899.1.7-1963.1.30)
Public domain via Wikimedia Commons
フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc)は1899年1月7日にパリで生まれたフランスの作曲家です。ベートーヴェンをこよなく愛する厳格なカトリック信者だった父エミールは、製薬会社の共同代表だったため、一人息子のフランシスを後継者として育てるという使命がありました。母ジェニーピアノをたしなみ、その腕は確かで、奏でる音楽はクラシックからポピュラーまで多岐にわたったといいます。
プーランクは、父親の言いつけ通り、音楽学校へは行かず普通の学校へ通います。それでも5歳からピアノのレッスンが開始され、最終的にスペイン出身のピアニスト、リカルド・ビニェス(1875-1943)に師事することになります。ビニェスはドビュッシーラヴェルなど、当時パリで活躍した作曲家のピアノ曲を数多く初演しており、プーランクも少なからず、その演奏に感銘を受けたといいます。ビニュスから作曲をするよう勧められたプーランクの初期の作品は、ビュニスによって初演されています。10代後半に両親を亡くしたプーランクにとって、ビュニスは父親的な存在だったのかもしれません。
また10代でギョーム・アポリネール(1880-1918)を始め、多くの詩人の知遇を得ることになります。彼はこうしたいわゆる「アバンギャルド」の詩人の詩に作曲し、生涯を通じ各地を演奏旅行することになります。またアポリネールの台本によるオペラも作曲しました。
ビニュス以外にも影響を受けた人物としてエリック・サティ(1866-1925)とモーリス・ラヴェル(1875-1937)が挙げられます。初期のピアノ曲にはサティの影響が見てとれると先生は感じています。
プーランクの作風を評するときに、よく使われる言葉として、「修道僧悪童が同居している」とか「熱心なカトリック教徒腕白小僧の両方」といった表現がされます。彼は音楽学校によるアカデミックな教育は受けていませんが、当時のピアニストや作曲家、音楽業界から様々なものを吸収し、実に多くのジャンルの曲を手掛けています。上記の写真で、プーランクと一緒に写っている女性は、ポーランド出身のチェンバロ奏者ピアニストワンダ・ランドフスカ(1879-1959)です。彼女は20世紀前半当時、忘れられた楽器となっていたチェンバロを復活させた人物として知られています。プーランクは彼女のために「田園のコンセール」という名前のチェンバロ協奏曲を作曲しています。
ジョージ・ラッセル・ケックは、プーランクの音楽を「彼のメロディーはシンプルで、心地よく、覚えやすく、そしてほとんどの場合、感情を表現しています。」と言っています。この言葉は、プーランクの管弦楽曲にも宗教曲にもピアノ曲にも当てはまると先生は思っています。
LGBTレインボーフラッグ
LGBTの象徴:レインボーフラッグ
プーランクは、LGBTの作曲家としても知られています。女性との結婚も考えたようですが、生涯にわたり、何人かの男性パートナーと過ごしています。1963年1月30日、心臓発作でパリの自宅において亡くなりました。

プーランクのオペラ

プーランクは3つのオペラを作曲しています。3つとも全く違う性格のオペラです。

(1) ティレジアスの乳房(1947年初演)

アポリネールの戯曲によるこのオペラ。女性の尊厳について、いろいろと考えさせられるオペラです。
第1幕でテレーズ(Thérèse)の「あなた、私はもういやよ!(Non Monsieur mon mari)」は、コンクール参加者がよく選択し、歌われる曲です。この歌の中でテレーズは、「男になってやる!」と言い放ち、その決意を語る面白おかしい曲です。
参考CD
テレーズ(ティレジアス):ドゥニーズ・デュヴァル
指揮:アンドレ・クリュイタンス 他(1953年 録音)
このCD集は、プーランク生誕100年にあたる1999年に「プーランク大全集」として発売された全4巻のうち、オペラと声楽曲を集めた5枚組のものです。ドゥニーズ・デュヴァル(1921-2016)は、女優として舞台に立った経験もある歌手で、「才能あふれる歌う女優」との評価が高いです。そんな彼女に目が留まったプーランクは、このオペラの初演をデュヴァルに託します。目論見は大成功。その後に書かれた2つのオペラのヒロインは、デュヴァルが歌うことを前提に作曲されたといいます。この全集には、3つのオペラが含まれており、その3つでデュヴァルの名唱を聴くことができます。
ティレジアス

(2) カルメル会修道女の対話(1957年初演)

フランス革命末期、16名の修道女が断頭台の露と消えた実話をもとにしています。貴族の娘だったブランシュは、感受性が強く、自らの置き場をカルメル会修道院に求めます。そこで修道院長の壮絶な死や革命の影響を受け、一旦は修道女たちから離れますが、最終的に死刑と決まった修道女たちとともに断頭台へと向かいます。最後の断頭台の場面は、刑に処される修道女たちの聖歌が、ドスンというギロチンの落ちる音とともに1人ずつ少なくなっていき、最後ブランシュが歌う歌が消える。本当に衝撃的な結末です。音楽的にはとても素晴らしく、先生の最も好きなフランス語のオペラです。
参考CD
ブランシュ:カトリーヌ・デュボスク
指揮:ケント・ナガノ 他(1990年 録音)
このCDをなぜ買ったのか、記憶がないのですが、聴き始めると最初の一音から人の心を鷲掴みにするような、疾走感と焦燥感、虚脱感に溢れています。デュヴァルのブランシュももちろん素晴らしいのですが、カトリーヌ・デュボスクのブランシュは透明感と悲壮感に溢れた、まさにデュボスクにブランシュが乗り移ったかのような、絶唱です。美食の町リヨンのオペラ座管弦楽団を振るのは当時音楽監督をしていた日系のケント・ナガノです。彼の就任時期は、「パリのオペラ座よりも優れた上演がある」との評判が高く、いくつもの録音がなされました。先生の好きなオペラだけにいくつかCDを持っていますが、これに勝るCDはありません(あくまで先生の主観です)。
カルメル会修道女の対話

(3) 人間の声(1959年初演)

一人芝居があるように一人オペラもあります。もちろん、オーケストラが付きますが。登場人物は名前もない「女」のみ。恋人に捨てられた彼女は、元恋人に電話をします。精いっぱいの強がりを言いカラ元気を装う。電話は混線し、なかなかつながらない。やっとつながった元恋人に、あなたからの電話を待っていたと言い、最後には電話のコードを首に巻き付けて「愛している」とつぶやきながら死ぬという45分ほどのもの。ジャン・コクトー(1889-1963)の台本です。電話の音を模したシロフォンの音が虚しく響くのが印象的です。
参考CD
フランソワ―ズ・ポレ先生
フランソワ―ズ・ポレ先生
(静岡国際オペラコンクール審査委員)
女:フランソワーズ・ポレ
指揮:ジャン=クロード・カサドシュ (1993年 録音)
コンクール審査委員を務めるフランソワーズ・ポレ先生の録音です。ポレ先生はフランスのソプラノですが、ドイツでリヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」元帥夫人(マルシャリン)を歌ってデビューしているので、ドイツ語のオペラも得意としています。また、フランス語の少し珍しいオペラやアリア集のCDもあり、先生としては貴重な音源として拝聴しています。このオペラもポレ先生にとっては母国語なので、本当に自然に感情豊かな造形を描いています。
人間の声