~今月の作曲家~「レオンカヴァッロ」(2022年4月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(4)】

レオンカヴァッロ

Leonkavallo Postcard-1910
ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
(1857.4.23 - 1919.8.9)
Public domain, via Wikimedia Commons
ルッジェーロ・ジャコモ・マリア・ジュゼッペ・エンマヌエーレ・ラッファエーレ・ドメニコ・ヴィンチェンツォ・フランチェスコ・ドナート・レオンカヴァッロ(Ruggero Giacomo Maria Giuseppe Emmanuele Raffaele Domenico Vincenzo Francesco Donato Leoncavallo)は、1857年4月23日ナポリで生まれたイタリアの作曲家です。父ヴィンチが判事だった関係で、幼いころは南イタリアを転々としたといいます。その後、モンタルト・ウッフーゴで少年期を過ごします。
母の死後、父と別れナポリ音楽院で学びます。その後ボローニャ大学では、文学を学んでいます。ボローニャではリヒャルト・ワーグナーとの出会いも果たしています。その後叔父の勧めでエジプトに赴き、その後はパリに移り住みます。パリではアルフレッド・ド・ミュッセ(1810-1857)の詩による、テノールと管弦楽のための交響詩「5月の夜(La nuit de mai)」を作曲・発表し、大成功をおさめます(パリでは生涯の伴侶を見つけています)。十分な蓄えもできたので、オペラ作曲家として身を立てるべく、1888年にミラノにやってきます。
ミラノでは教鞭をとりつつ、大楽譜出版社「リコルディ」社の後ろ盾を得るべく作曲に励みますが、結局実を結ぶことはありませんでした。そんな折の1890年ある有名なオペラが初演されます。ピエトロ・マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」です。このオペラは「リコルディ」のライバル会社であった「ソンゾーニョ」社の第2回オペラ作曲コンクール(1888年)に応募された作品でした。満を持してレオンカヴァッロは第3回コンクール(1890年)に応募すべく、自ら台本を書き作曲し完成されたのが「道化師(Pagliacci)」です。しかし、失格の憂き目を見ます。それは、応募条件の「1幕のオペラ」に反し「2幕のオペラ」としてしまったことでした。しかし、ソンゾーニョ社社長エドアルド・ソンゾーニョ(1836-1920)の目に留まり、上演されることとなります。それが大成功。現在でも上演される人気作となりました。

 ちょっとブレイク

最初のミリオンセラー
「道化師」の有名なアリアに「衣装をつけろ(Vesti la giubba)」があります。往年の名テノール、エンリコ・カルーゾ(1873-1921)は、このアリアを録音して発売したところ、世界史上初のミリオンセラーを達成したとのことです。

「道化師」以降

ソンゾーニョ社は金の卵を産む作曲家を手に入れたとばかり、以前リコルディが出し渋っていたレオンカヴァッロのオペラの権利を手に入れて上演します。しかし、彼は生涯にオペラ・オペレッタ合わせて20作品あまりを残していますが、その後の作品で「道化師」を超えるものは現れませんでした。

レオンカヴァッロと台本

レオンカヴァッロの作品の多くは、自分で台本も書いています。これは、ボローニャ大学文学を学んだことが大きいと思いますが、ワーグナーに触発されていることもあるでしょう。自分の思い通りの作品が創作できる反面、台本と作曲という2つの手間はどうしてもかかってしまいます。その結果、「ラ・ボエーム」では、後から始めたプッチーニのほうが先に初演してしまう結果の一因ともなりました。
ワーグナーの四部作「ニーベルングの指環」に大いに影響を受けたレオンカヴァッロは、ワーグナーの大作に倣って、三部作「黄昏(Crepusculum)」の創作に乗り出します。その第一作目は、ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)とジュリアーノ・デ・メディチ(1453-1478)の兄弟を描いた「メディチ家の人々(I Medici)」でした。自信作でしたがあまり聴衆に受けず、批評家からも酷評され、自信を失ったのか、その後が続きませんでした。二作目は、ジローラモ・サヴォナローラ(1452-1498)を描いた「サヴォナローラ(Savonarola)」、三作目は、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)を描いた「ボルジア家の人々(I Borgia)」となる予定だったようです。書き上げられたら、ルネッサンス期イタリアの重要人物が勢揃いのオペラとなったことでしょう。

レオンカヴァッロとプッチーニ

レオンカヴァッロは、プッチーニの「マノン・レスコー」の台本作家の1人としても名を連ねています。当時プッチーニは、新進の作曲家として知られてはいましたが、ヒット作を世に送り出す前で、自ら次作を「マノン・レスコー」と決めて、相当気合いを入れて取り組みました。台本にもいろいろと注文を付け、台本作家が次々と変わり、散々苦労してようやく完成を見ました。一説によると、プッチーニ本人も含めた8人が、台本創作に関わったと言います。先生の持っている、リコルディ社のヴォーカルスコアには、4人の名前が記されていましたが、レオンカヴァッロの名前はありませんでした。結果として、「マノン・レスコー」は、プッチーニの出世作となり、彼の名を広めるのに大いに役に立ちました。

レオンカヴァッロのオペラ

代表作「道化師」

このオペラはレオンカヴァッロの出世作であると同時に代表作となったオペラです。このオペラ創作に火をつけたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と同様1時間ほどのオペラなので、この2作品を1晩の公演として上演することが多いです。判事だった父親の扱った裁判にヒントを得て台本を作ったと言われています。
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あらすじ
(1860年代、8月15日「聖母被昇天祭日」の午後から夜)
幕前にトニオが現れ、「道化師(パリアッチョ)も人間、地も肉もあり愛憎を感じるのだ」と前口上を述べる。
幕が上がると村人たちが旅回りの一座を待っている。座長のカニオに率いられた一座が到着、村人に芝居の時間を伝え、見に来るよう宣伝する。村人たちが去ると、カニオの若い妻ネッダアリア「鳥の歌」で、自由な生活へのあこがれを歌う。そんなネッダにトニオが言い寄るが、ネッダは相手にしない。彼女にはシルヴィオという愛人がいたのだ。二人の愛の語らいをトニオが盗み聞きし、カニオを連れてくる。「今夜からずっと、私はあなたのもの」というという言葉に逆上したカニオは現場に踏み込むが、シルヴィオは逃げた後。ネッダに詰め寄るが、すでに芝居の時間が近づいていた。カニオはアリア「衣装を着けろ」で、パリアッチョは泣きたいときでも人を笑わせなければならないのかと、悲痛な胸の内を歌う。
間奏曲。いよいよ芝居が始まった。ペッペ扮するアルレッキーノが、セレナード「おおコロンビーナ」を歌うのが聞こえてくる。トニオ扮するタデオは、夫の留守をいいことに、ネッダ扮するコロンビーナを口説き始めるが相手にされない。アルレッキーノが現れ、コロンビーナと良い感じに。そこへタデオが「旦那のパリアッチョが帰って来る」と告げるので、コロンビーナはアルレッキーノに「今夜からずっと、私はあなたのもの」と声をかけ、彼を逃がす。カニオ扮するパリアッチョは、コロンビーナの言葉に、現実と芝居との区別がつかなくなる。パリアッチョは、アリア「もうパリアッチョではない」を歌い、迫真の演技でコロンビーナに迫るのでお客は大盛り上がり。しかしあまりの激しさに客席にも不安が募り始める。ついに小道具のナイフを振り上げ、ネッダに情夫の名を言えと迫るが答えないので、とうとう彼女を刺し殺してしまう。客席にいたシルヴィオはネッダを助けに舞台へ上がるが、カニオはシルヴィオをも刺し殺し、大混乱の客席に向かって、「芝居はおしまい」と叫び、幕となる。

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参考CD
名オペラなので、古くから多くの録音があります。
参考CD (1)
カニオ:マリオ・デル・モナコ
ネッダ:ガブリエッラ・トゥッチ
指揮:フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ 他(1959年録音)
何と言ってもマリオ・デル・モナコのカニオが絶品です。来日公演でもこのオペラを演じていたので、彼の十八番かと思います。そして、ネッダのガブリエッラ・トゥッチ先生。見事の一言。可憐な中にも芯の通った女性を演じています。そして、先生の大好きな名脇役ピエロ・デ・パルマ。指揮もイタリア・オペラの権化のようなモリナーリ=プラデッリ。先生の「道化師」と言ったら、長らくこの1枚で十分でした。そのくらい素晴らしいCDです。
マリオ・デル・モナコCD
参考CD (2)
カニオ:プラシド・ドミンゴ
ネッダ:イレアナ・コトルバシュ
指揮:アダム・フィッシャー 他(1985年録音)
デル・モナコよりも二世代若いドミンゴの絶唱が聴けます。さすがに、同時上演された「カヴァレリア・ルスティカーナ」には出演していませんでした。これは、ウィーン国立歌劇場のライヴ録音。熱い熱気も伝わってきます。コトルバシュの楚々としたネッダも聴きものです。でも先生の耳が行ってしまうのは、ハインツ・ツェドニクのペッペです。こちらも見事に狂言回しを演じています。
ドミンゴCD
大手通販サイトなどで「レオンカヴァッロ」と検索すると、99%が「道化師」を出してくれますが、ほんの少し「ラ・ボエーム」や「メディチ家の人々」などがヒットします。この「メディチ家の人々」は、ドミンゴをはじめ、カルロス・アルバレスダニエラ・デッシー(1957-2016)ら、重鎮がこのマイナーなオペラに取り組んでいます。残念ながら日本版は、まだないようです。
「ザザ」には、音源の他、映像が出ています。ウィーンの第三の歌劇場として意欲的な公演を行っている「アン・デア・ウィーン劇場」でのライヴ収録です。その上、貴重な日本語字幕付き!ご興味のある方はぜひ。
メディチ家の人々
メディチ家の人々CD
ザザ
メディチ家の人々CD