~今月の作曲家~「コルンゴルト」(2022年5月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(5)】

コルンゴルト

Erich Wolfgang Korngold 01
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
(1897.5.29-1957.11.29)
Public domain, via Wikimedia Commons
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold)は、1897年5月29日に、現在のチェコのブルノで生まれました。「ヴォルフガング」は、もちろんモーツァルト名前からとられています。ちなみに兄は、ハンス・ロベルト。「ロベルト」はシューマンのファーストネーム。父ユリウス・レオポルド・コルンゴルトは、音楽評論家でした。レオポルドの子がヴォルフガング。まさにモーツァルトと同じです。かの悪名高き音楽評論家エドゥアルト・ハンスリック(1825-1904)の後釜に父が就任することになり、4歳の時にウィーンに移住します。
次男の音楽的な才能を感じ取った両親は、早くからマーラー(1860-1911)やリヒャルト・シュトラウス(1864-1948)などの音楽家に息子の才能を見てもらいます。コルンゴルトは、音楽学校など必要ないほどの才能を絶賛され、ローティーンにして音楽の都ウィーンの寵児となりました。ウィーン宮廷歌劇場ではバレエ「雪だるま」が、ウィーン・フィルでは、「シンフォニエッタ」が初演されています。
瞬く間にその他の街にも名声は届き、「ポリュクラテスの指環」「ヴィオランタ」という最初に作曲された二つのオペラは、1916年ミュンヘン宮廷歌劇場において一晩でブルーノ・ワルター(1876-1962)の指揮により初演されています。1時間余りの作品で「ポリュクラテスの指環」は喜劇、「ヴィオランタ」は悲劇でした。
彼の名をヨーロッパ中に広めたのは、アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)により演奏されたピアノ・ソナタ第2番と、オペラ「死の都」でしょう。ピアノ・ソナタ第2番は1910年に作曲され、シュナーベルによりヨーロッパ中に紹介されました。また、「死の都」は、1920年にケルンとハンブルクで同時に初演され、瞬く間に世界中で上演されるようになりました。
演出家など幅広い分野で活躍していたマックス・ラインハルト(1873-1943)と出会ったコルンゴルトは、彼からヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」をミュージカル仕立てに編曲してほしいという依頼を受けます。この編曲はブロードウェイで大ヒット。次は、映画「夏の夜の夢」の挿入音楽として、メンデルスゾーンの音楽を編曲する仕事を受け、自分も映画の都ハリウッドへ行くことにします。
船でアメリカへ渡るイメージイラスト
映画という新しいジャンルへの音楽提供という仕事も増え、ヨーロッパとアメリカとを行き来している生活がしばらく続いた矢先、ドイツはナチスが政権を取り、オーストリアという国は無くなってしまいます。ユダヤ系だったコルンゴルトは、家族を伴いアメリカへの亡命を余儀なくされました。
アメリカでは、引き続き映画音楽の仕事を引き受け、重厚な音楽構成で整えられた音楽をオーケストラにより演奏させるといった手法が受け、アカデミー作曲賞を授与されるほどでした。「スターウォーズ」などで知られるジョン・ウィリアムズの映画音楽を聴くと、少なからずコルンゴルトの影響が感じられます。
第二次世界大戦が終結すると、純粋なクラシック音楽の作曲を手掛け始め、この時代に作曲されたヴァイオリン協奏曲は、批評家からは「時代錯誤」と手厳しい批判を浴びますが、聴衆の人気は高く、現在でも彼の代表作として多くのヴァイオリニストのレパートリーとなっています。
そんな聴衆からの後押しを頼りにウィーンへ帰還します。しかし、戦後のウィーン楽壇はコルンゴルトを温かく迎えることなく、時代遅れの「映画音楽の作曲家」というレッテルを張り、一段低く見ます。戦勝国アメリカの映画音楽で成功したというやっかみもあるのでしょう。新作をひっさげての公演もうまくいかず、上演予定の2つのオペラは、1つは失敗に終わり、もう1つは上演すらされませんでした。失意のうちにコルンゴルトはアメリカに帰ります。ウィーンには、もう自分の居場所はないと。その後交響曲嬰へ調主題と変奏などの純クラシック音楽を作曲しますが、60歳を迎えた1957年11月29日にハリウッドで亡くなりました。
このような事情から、コルンゴルトは「知る人ぞ知る作曲家」となり、歴史に埋もれる運命を迎えようとしていました。しかし、彼の次男であるジョージ音楽プロデューサーとして成長し、父の映画音楽のレコーディングを1970年代に行ったことにより、コルンゴルトの再評価が始まります。その流れを受け、交響曲やオペラ「死の都」が録音されるまでになります。先生もこの頃録音された「死の都」のCDに魅了され、いつか生で聴いてみたいと切望するようになりました。さらに1990年以降再評価が進み、一般にも知られるようになり、彼のヴァイオリン協奏曲は、近年コンサートでよく取り上げられています。オペラコンクールでは、「死の都」のアリアがよく歌われています。

コルンゴルトのオペラ

「死の都(Die tote Stadt)」

ベルギージョルジュ・ローデンバック(1855-1898)の小説「死の都ブリュージュ(Bruges-la-Morte)」が原作で、パウル・ショットが台本をつくりました。といっても、パウル・ショットとは名ばかりで、コルンゴルトと父ユリウスの合作の台本でした。このことは極秘とされていて、1975年の復活上演まで、知られることはありませんでした。
異例のことですが「死の都」は、1920年12月4日に、ケルンとハンブルクで同時に初演されました。ケルンの指揮者はオットー・クレンペラー(1885-1973)で、ハンブルクの指揮者はエゴン・ポーラク(1879-1933)でした。ハンブルクは大成功、ケルンはそこそこの成功だったといわれています。もっともクレンペラーは、この作品を気に入らなかったようですが。
日本では、1996年井上道義さんの指揮で、京都市交響楽団(演奏会形式)によって初演され、2001年にも同じく井上道義さん指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会形式(少しの演技は付いたようです)で上演されました。日本舞台初演は面白いことに2014年3月、びわ湖ホール新国立劇場で異なるプロダクションで上演されています。このような珍しいオペラを、同じ時期に2つも観ることができるのはまさに僥倖!嬉々として先生が両方に足を運んだのは言うまでもありません。
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あらすじ
(19世紀末、ベルギーのブルージュ)
第1幕
マリーに先立たれたパウルは、妻の遺髪や遺品を集め、肖像画を飾った「思い出の殿堂」に閉じこもっていた。しかし急に元気になり、「彼女が戻ってきた」と言い出したと家政婦のブリギッタは、パウルの友人フランクに話す。そこにパウルが帰ってきてブリギッタに花を買いに行くよう命じる。パウルは慰められるどころか、逆に「彼女は生きている」と歌いだし、マリーが街にいて家に帰るよう話したと語る。フランクは、心配しつつ帰っていく。
花のイラスト
そこに花を買ったブリギッタが帰宅し、来客を告げる。その来客に向かい、思わず「マリー」と呼びかけるパウルに、「私はマリエッタ」と自己紹介する。マリエッタは旅一座のダンサーだった。パウルはマリエッタにリュートを持たせ、彼女はリュートに合ったアリア「私に残された幸せは」を歌う。
外からにぎやかな声が聞こえてくる。それは、マリエッタの仲間たちだった。偶然「思い出の殿堂」の中に、自分そっくりの女性の肖像画を見つけたマリエッタは、「私はこの女性の代わりなのね」と去っていく。
夢か現かの見境がつかなくなったパウルは、肖像画に「マリエッタ!」と叫んでしまう。すると肖像画のマリーが動き出し現実のものとして現れる。彼女は、遺髪のことや私たちの愛はいつまでも続くことを話し、「しっかり生きるのよ」という声を残して肖像画の中に戻る。(そこに再びマリエッタが現れ、激しく踊り狂う。パウルはソファーに崩れ落ちる。)
※1幕から切れ目なく2幕が演奏される場合もある。その場合、かっこの中は省略される。
第2幕
(もやに包まれたパウルの家。マリーの声が再び幻想的に響く。もやが晴れると、)場面はブルージュの街中。パウルは「私に何が起こったのだろう」とマリエッタのいる家の前で歌う。修道女となったブリギッタが通りかかり、驚くパウルに「あなたのお屋敷にはもうお勤めできません」と修道院へと去る。
フランクとも仲違いしたパウルの前に、マリエッタたちが陽気に現れる。パウルは物陰に隠れる。ピエロ役のフリッツは有名なアリア「我が憧れ、我が幻」を歌う。彼らは「悪魔のロベール」のリハーサルを始める。清純な妻マリーにマリエッタを重ねていたパウルは、いたたまれなくなって止めに入る。マリエッタは「あなたの中から幻を消す」と叫び、パウルとともに彼の家へと向かう。
第3幕
パウルと一夜を共にしたマリエッタは、マリーの肖像画に向かい「あなたにあいさつに来たわ」と歌う。焦燥したパウルは、マリエッタに出ていくよう言う。マリエッタはマリーの遺髪を手にし、激しく踊りだす。怒ったパウルは遺髪でマリエッタを絞め殺す。すると突然舞台は暗くなり、やがて1幕のはじめと全く同じ状態で明るくなる。舞台にマリエッタの死体はなく、ブリギッタが来客を告げに入ってくる。その来客は、忘れた傘を取りに来たマリエッタで、傘を持って出ていく。驚くパウルの前にフランクが現れ、この街を去ることを告げ、パウルを誘う。パウルは「私に残された幸せは」の一説を歌い、「思い出の殿堂」に鍵をかけ、フランクとともに家から出ていく。
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参考CD
参考CD (1)
パウル:ルネ・コロ
指揮:エーリヒ・ラインスドルフ 他 (1975年 録音)
この録音を聴いて、「こんな素敵なメロディー満載のオペラがあるんだ」と思ったのが、大学生のころだったでしょうか。ルネ・コロの圧倒的な歌唱力にも感服しました。他に比較できる録音がなかったので、こればかり繰り返し聴いていた記憶があります。チョイ役ピエロには、ヘルマン・プライ(1929-1998)が充てられているというぜいたくさ!各所に充実した配役がされ、コルンゴルト復興の火付け役となった録音です。
マリオ・デル・モナコCD
参考CD (2)
パウル:トルステン・ケルル
指揮:ドナルド・ラニクルズ 他 (2004年 録音)
2004年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音です。何より、マリーを歌うアンゲラ・デノケの歌唱が素晴らしい。ひんやりと冷たく、しなやかな黒猫のような音色は、妖艶な役にピッタリかと先生は思っています。この録音はフランクとピエロを同じボー・スコウフスが演じていますが、彼も艶やかな音色で、本当に素晴らしい録音。また、豪快に音を鳴らす左手に指揮棒を持つラニクルズの指揮によるウィーン・フィルのきらめくような音色もこのオペラにはぴったりです。このプロダクションは夏ザルツブルクで上演された後、12月にウィーンでも上演されました。先生はこの公演を観ることができました。パウルは別の歌手に変わっていましたが、デノケとスコウスフの歌は堪能できました。この録音は1幕と2幕が続けて演奏されています。
ザルツブルク音楽祭ライヴ録音CD
ウィーン国立歌劇場の配役表とプログラム
ウィーン国立歌劇場の配役表とプログラム
参考CD (3)
パウル:クラウス・フローリアン・フォークト
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ 他 (2009年 録音)
フォークトは、ローエングリンのところでご紹介しましたね。妖艶とは少し違う、清楚な音色で、それが弱々しくなくレーザーのように分厚いオーケストラをも突き抜ける、そんな歌手です。先生は、このプロダクションを観ることができました。金髪のロン毛のフォークトですが、ここではスキンヘッド(もちろんカツラですが)で、見た目からも狂人を演じていました。ブリギッタのヘドヴィヒ・ファスベンダーがなかなか良いと思いました。指揮は読響でおなじみのヴァイグレ。意欲的な上演を続けるフランクフルトの歌劇場、注目です!この録音も1幕と2幕が続けて演奏されています。
フランクフルトオペラCD
フランクフルト歌劇場の配役表とプログラム​
フランクフルト歌劇場の配役表とプログラム
なお、コルンゴルトはこの本に詳しく述べられています。ご参考に。
「コルンゴルトとその時代」早崎隆志 著
「コルンゴルトとその時代」書籍