~今月の作曲家~「ストラヴィンスキー」(2022年6月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(6)】

ストラヴィンスキー

Igor Stravinsky LOC 32392u
イーゴリ・ストラヴィンスキー
Public domain, via Wikimedia Commons
イーゴリ・フョートロヴィチ・ストラヴィンスキー(И́горь Фёдорович Страви́нский [Igor Fyodorovitch Stravinsky])は、1882年6月17日(ロシアの当時の暦では6月5日)に、帝政ロシアの首都だったサンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウムで生まれました。お父さんのフョードル(1842-1902)は、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で長年活躍したバス歌手で、演技にも定評のあった芸術家でした。お母さんのアンナ(1854-1939)は歌手でありピアニストで、フョードルの専属伴奏者としても活躍しました。芸術家夫婦としては、御多分に漏れず、子どもに苦労をさせたくないという思いから、多くの場合お堅い仕事に就かせるよう仕向ける傾向にあります。フョードル夫妻も、四人の子どもたちにそのような教育をさせますが、残念ながらその方針は虚しい結果となったようです。
蛙の子は何とやらで、三男イーゴリには音楽的な才能全般が、四男のグリ(1884-1917)には、歌手としての才能が引き継がれました。将来を嘱望されたグリでしたが、残念ながら早くに戦死してしまいました。
両親の思いを受けて、当初イーゴリは法学部に入学し学位を取りますが、並行してリムスキー=コルサコフ(1844-1908)から個人的にレッスンを受けます。この頃の作品としては「幻想的スケルツォ」「花火」が挙げられます。また最初のオペラ「ナインチンゲール(夜鳴きうぐいす)」の第1幕がこの頃完成しています。これらの初期の作品を通して、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を主宰していたセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の知遇を得ます。最初の依頼は、ショパンのピアノ曲をオーケストラで演奏できるよう編曲することでした。
1906年、彼は幼なじみでいとこのエカテリーナと結婚します。彼女との間には、二男二女を授かりました。次男のスリマ(スヴャトスラフ・スリマ・ストラヴィンスキー[1910-1994])は、父と同じく作曲家になりました。
その後バレエ・リュスのために、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」という「ストラヴィンスキー3大バレエ」が創作され、「春の祭典」の初演では、空前絶後の大混乱に陥ったといいます。このセンセーショナルな出来事により、ストラヴィンスキーの名は知れ渡ることになりました。たぶん、多くのクラシック愛好家は、ストラヴィンスキーは「バレエの作曲家」というイメージが植え付けられた一因でもあるでしょう。この頃の作風は「原始主義時代」と呼ばれています。特徴としては、ころころ変わる拍子、強烈なリズムなどが挙げられます。そんな時に、中断されていた「ナイチンゲール」の上演希望が舞い込み、残りの2つの幕を完成させて、1914年に初演されました。第1幕は「春の祭典」前、第2・3幕は「春の祭典」後に作曲されているので、聴いていて違いがよくわかる作品といわれています。
それまでストラヴィンスキーはスイスウクライナに家を持っていましたが、第一次世界大戦、ロシア革命など激動の時代を経て、フランスに移り住みます。作風も変化し、「新古典主義時代」と呼ばれるものになりました。響きも形式も単純で、簡素なものとなります。この時期に、オペラ・ブッファ「マヴラ」や、オペラ=オラトリオと呼ばれる「エディプス王」が作曲されています。「マヴラ」は、イタリアからの影響が、「エディプス王」は、非日常が聞こえます。
船でフランスからアメリカへ渡るイメージイラスト
フランスの国籍を得ていたストラヴィンスキーでしたが、1930年代台頭してきたナチスの影響を恐れ、第二次世界大戦が始まると、アメリカへと移住します。オペラ「放蕩者のなりゆき」は、戦後完成された英語によるオペラで、「新古典主義時代」の最後を飾る作品です。私生活では、1933年に長女と妻を相次いで失い、アメリカ亡命後の1940年にバレリーナのヴェラと再婚しました。彼は女にだらしなく、多くの不倫相手がいたと言われています。
アメリカには、ナチスの迫害にあったり、政治方針へ反対したりした芸術家が多く亡命していました。その中にはアルノルト・シェーンエルク(1874-1951)がいました。彼はいわゆる「十二音技法(セリー主義)」を確立させたことでも知られています。「十二音技法」とは、1オクターヴ内にある12の音に優劣はなく、どの音も均等に使用する作曲法です。ストラヴィンスキーははじめこの作曲法に疑問を持っていましたが、同じく亡命していたエルンスト・クシェネク(1900-1991)の作品や著書などを通じて、その真価を認めるようになります(クシェネクについては、8月にご紹介しますね)。シェーンベルクの死後、1950年代以降はこの技法を用いた曲が創作され、「十二音技法(セリー主義)時代」と呼ばれています。
1959年(昭和34年)には来日し、約1ヶ月にわたり各地を観光したり自作を指揮したりしています。この時演奏した「火の鳥」組曲の映像が残されており、モノクロながらNHK交響楽団を指揮するストラヴィンスキーの姿を見ることができます。この時、武満徹(1930-1996)の「弦楽のためのレクイエム」について、コメントを残しています。これは、他のピアノ曲を「音楽以前」と酷評されていた武満の汚名を雪ぎ、その名を世界的に広めたきっかけとなりました。
1962年には、久しく足を踏み入れていなかったソビエト連邦を訪れ、ショスタコーヴィチハチャトゥリアンなど、ソ連の主要な作曲家と邂逅の機会を得ました。また、モスクワとレニングラードで指揮もしています。しかし変わり果てた祖国にとどまることはなく、3週間ほどで去ることになります。
1963年、ケネディ大統領が暗殺されると、「J.F.K.のためのエレジー」を作曲します。これはバリトン(またはメゾソプラノ)3本のクラリネット(Bクラリネット2本、Esアルトクラリネット1本)という変わった編成の歌曲です。コンクール審査委員長、木村俊光先生の若き日(1971年の録音ですから、この時27歳!!)の録音があります。5曲目、黄緑色の部分です。
木村先生のストラヴィンスキー「J.F.K.のためのエレジー」
木村先生
木村 俊光
(審査委員長)
晩年は宗教曲追悼曲を手掛ける傾向が強く、1960年代後半は演奏活動も止め、録音を聴いて過ごすようになります。ついに1971年4月6日、ニューヨークで亡くなりました。葬儀が行われたヴェネツィアサン・ミケーレ島(墓地の島として知られています)に埋葬されました。恩人ディアギレフも同じ墓地に眠っています。

ストラヴィンスキーのオペラ

「放蕩者のなりゆき(The Rake's Progress)」

1947年、ストラヴィンスキーはシカゴでウィリアム・ホガース(1697-1764)の銅版画「放蕩一代記」(A Rake's Progress)を見かけます。それは以下の8点からなる作品で、彼の代名詞でもある風刺的な内容を含んでいました。
1.遺産相続 2.新当主の会見式 3.放蕩三昧 4.逮捕 5.結婚 6.賭博場  7.牢獄 8.精神病院
 
この8枚の連作は、「父親の死により遺産を受け取り、新当主となった放蕩者が、許嫁を捨て、放蕩三昧を繰り返した挙句逮捕され、許嫁のとりなしで釈放されるが、金のため老婦人と結婚、それでも放蕩は止められずついに牢獄へ、最後は精神を病んで病院送りとなる」といった内容です。
ストラヴィンスキーは、これをオペラにするべく台本作家を探します。白羽の矢が立ったのは、イギリス出身の詩人W.H.オーデン(1907-1973)でした。オーデンは当時親密な関係にあったチャールズ・コールマン(1921-1975)とともに台本を完成させました。この2人のコンビは、ドイツの作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012)のオペラの台本も手掛けています。この三人はともにLGBTQ+の芸術家としても知られています。
「新古典主義時代」の最後の作品と書きました。古典時代を彷彿とさせる小編成のオーケストラや、レチタティーヴォアリアなどと区分けされた楽譜構成、あえてチェンバロ(ピアノでも可)をレチタティーヴォに使いつつ、不気味な雰囲気を醸し出す。初めて観る人にはちょっととっつきにくいかもしれませんが、噛めば噛むほど味が出る、そんなオペラです。
チェンバロ(浜松市楽器博物館所蔵)
チェンバロ画像
本来、ニューヨークの小さな劇場での初演を希望していました。しかし、財政的な理由で(イタリア政府からの援助の申し出があったようです)、1951年9月11日に、ヴェネツィア・ビエンナーレの期間中の、第14回国際現代音楽祭において初演されました。会場は大劇場で知られるフェニーチェ劇場で、ストラヴィンスキー自身が指揮を行いました。場所はフェニーチェ劇場でしたが、オーケストラはミラノ・スカラ座のメンバーが務めたそうです。
********************
あらすじ
(18世紀・イギリス)
第1幕第1場 田舎にあるトゥルーラヴの家、5月の午後。
恋人のアンとトムが、愛の二重唱を歌っている。アンの父のトゥルーラヴが現れ、結婚の心配を歌い三重唱となる。トゥルーラヴはトムのために定職を世話しようとするが、トムは良い返事をしない。それどころかトゥルーラヴがいなくなると、「自分の知恵と運に頼って生きる」と、アリア「努力によるものじゃない」を歌う。彼が「お金が欲しい」とつぶやくと、そこへニック・シャドウが現れる。ニックは、アンとトゥルーラヴを呼びにやらせ、トムの叔父が死に、大金の遺産が転がり込んだと伝え、喜びの四重唱となる。ニックはトムに仕え、ロンドンへ行って遺産相続のための手続きをすることになる。アンはトムと別れの二重唱を歌う。トムはニックにお礼はどうすればと聞くと、ニックは1年後その答えがわかると言う。トムが馬車に乗ると、ニックは観客に向かい「放蕩者のなりゆきの始まり始まり」と告げる。
お酒のイラスト
第1幕第2場 ロンドン、マザー・グースの娼館
男女入り乱れて騒いでいる。ニック、トム、マザー・グースと酒を飲んでいる。ニックは、ロンドンのみだらな生活をトムに紹介する。トムは、美・快楽・愛とは何かを問われ、最初の2つには答えることができるが、愛については答えることができない。時計が1時を告げ、不安に駆られたトムは帰ろうとするが、ニックが12時に戻し、時間までもトムの思いのままだと言う。トムはカヴァティーナ「私の恋人よ」で、愛の裏切りについて歌う。マザー・グースはトムと一夜を共にする。
第1幕第3場 秋の夜、満月。トゥルーラヴの家。
アンはトムからの手紙が途絶えたことを心配し、アリア「静かな夜」で寂しい心を歌う。そこに自分を呼ぶ父の声が。アンはためらうが、トムには助けが必要と、カバレッタ「あの人のところへ行きましょう」で、ロンドンへ行く決意を固める。
第2幕第1場 ロンドンのトムの家。
トムは、ロンドンの放蕩三昧の暮らしではなく幸福を求める。そこに現れたニックは、幸福になるために人は自由でなければならないので、サーカスにいるという有名なひげの生えた女性、トルコ人のババと結婚して自由な意志を通すという奇妙な提案をする。トムは、始め嫌がるが、ニックの提案に乗ることにする。
第2幕第2場 トムの家の前、秋の夕暮れ。
トムの家の前までやってきたアン。そこに婚礼の行列が現れ、トムが輿に乗ってやってくる。トムはアンに、自分はアンに値するような男ではないので、去るように言う。アンはトムに愛を思い出させようとする。トムはアンにババを妻だと紹介する。アンは諦めて去る。町の声がババに顔を見せるよう叫ぶ。ババがヴェールを取るとその顔には、ヒゲが生えていた。
第2幕第3場 ロンドンのトムの家。
安らぎのない結婚生活にトムは後悔し、浮かない顔をしている。ババは「侮辱され!」を歌いながら部屋の中を歩き回り、手あたり次第に物を次々に投げ壊す。たまらずトムは、ババの顔をかつらでふさぐと、ババは黙ったまま止まる。疲れ切ったトムはソファに横になり眠る。しばらくしてニックがやってくる。トムは「石をパンに変える機械の夢を見た」と話す。ニックはトムが夢に見た、まさにその機械を見せ、トムは大喜びする。トムは、この機械に新しい人生をかける。
第3幕第1場 蜘蛛の巣とホコリにまみれたロンドンのトムの家、翌年の春。
トムは事業に失敗、行方をくらました。心配したアンが訪ねてくるが、皆、トムの行き先を知らない。競売人ゼレムにより、差し押さえられた家具の競売が始まる。その中には、止まったままになっているババも含まれている。ゼレムがかつらをはずすと、ババが動き始め前場で止まった続きの歌を歌い始める。ババは自分が売り物になっていることに気付く。外からトムとニックの声が聞こえてくる。入ってきたアンとババは、トムの声に気付く。ババはアンを元気付け、自分はサーカスに戻ることにする。アンはトムを探しに出かける。
第3幕第2場 墓地、夜。
約束の期限が過ぎたとニックは、トムに報酬を要求する。それはトムの魂だった。真夜中になるとニックは、トランプゲームに勝ったら猶予を与えると提案する。トムはアンとの本当の愛を信じていているので勝負に勝つ。負けたニックはトムを呪いながら、地中に沈んでいく。ニックの呪いにより狂人となったトムは、自分がアドニスになったと思い込む。
夜の墓地のイラスト
エピローグ
トム、アン、ニック、トゥルーラヴ、ババが登場し、それぞれの立場から、このオペラからの教訓を述べる。最後に「悪魔には、仕事ができる場所が常に存在する」という共同の教訓を歌って幕となる。
第3幕第3場 精神病院
自分がアドニスであると思い込んでいるトムは、ヴィーナスを求めている。管理人にトムの現状を聞いたアンは、トムをアドニスとして接する。喜ぶトムは、アンと二重唱「愚かな夢を見て」を歌う。トムに頼まれたアンは子守歌「静かに、小さな舟が」を歌い、彼を眠らせる。父トゥルーラヴが現れ、皆静かに彼のもとを去っていく。トムは、アン(ヴィーナス)が去ったことに気付き、死んでしまう。弔いの合唱。
********************
第1幕第3場のアンのアリア「静かなる夜」は、コンクールでよく歌われます。英語の得意な国の方が多いですね。
参考CD
参考CD (1)
トム: ロバート・ラウンズヴィル
指揮:イーゴル・ストラヴィンスキー 他 (1951年 録音)
初演のライヴ録音です。この初演は「大成功だった」と伝えるものもあれば、「練習不足で失敗だった」というものもあります。しかし、作曲者の指揮による演奏が、一番作曲者の意図を表現できていると思えば、一番素晴らしい演奏となるのではないでしょうか。確かに一流の指揮者による演奏ではないし、現代音楽に慣れていないスカラ座のオーケストラは、練習不足と苦手意識がありありと聞こえてきます。チェンバロが用意できなかったのか、代わりにピアノで演奏されています。
ストラヴィンスキーThe Rake's Progress CD
参考CD (2)
トム:イアン・ボストリッジ
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー 他 (1997年 録音)
モーツァルトやグルックのオペラの推薦CDでご紹介したガーディナーは、先生の尊敬する古楽器を演奏する指揮者です。が、「こんな曲も録音しているの!」と驚き、でも嬉々として購入したことを覚えています。「新古典主義時代」の作品ですから、様式的にガーディナーが演奏しても全く違和感はありません。それどころか、透明感のある演奏は「本当に古典時代の作品なのではないか」と勘違いさせるものがあります。ボストリッジはじめ、オッターターフェルなど、考えられる最上の歌手が集められているのもこのCDの魅力の1つです。
道楽者のなりゆきCD