新国立劇場 「ペレアスとメリザンド」

【ふじやまのぼる先生のオペラ雑感(6)】
 先生が観に行ったオペラの雑感を綴っています。

新国立劇場2021/2022シーズン
「ペレアスとメリザンド」
 

2022年7月2日(土曜日)14時開演
新国立劇場
「ペレアスとメリザンド」プログラム表紙
セビリアの理髪師配役表
何と生々しい「ペレアスとメリザンド」でしょう!そして、何と幻想的な「ペレアスとメリザンド」でしょう!先生はこの2つを同時に感じざるを得ませんでした。
このオペラは、ざっくりあらすじを話すと、「王子ゴローは、森の中で素性の分からぬメリザンドという女性を見つけ妻にするが、年齢差もあり、メリザンドはゴローの年の離れた異父弟であるペレアスと親しくなる。ゴローは2人の仲を疑い、2人が狂おしいほどにキスをしているとき、ペレアスを刺し殺し、メリザンドにも傷を負わせてしまう。一命をとりとめたメリザンドだったが、ゴローとの間にできた娘を残し、亡くなる。」といったもの。メリザンドとの出会いは森の中の泉のそば、ペレアスの死も泉のそばというふうに、「森」と「水」に支配されています。明るい太陽の下でというよりは夜、あるいは陽の差さない森。
しかし、このプロダクションでは、ト書き通りの森や泉などが現れることはありません。舞台全体は、1つの大きな邸宅です。その舞台を上部2つと下部2つの4つに分割し、上手より下部が主舞台であり、寝室やリビングになったり、使われなくなった室内プールになったりします。上手上部は、この家の2階に相当します。下手は上部下部両方を使いらせん階段として使用されたり、下手下部だけで小部屋として使われたりします。メリザンドとの出会いは、邸宅の寝室のベッドの上、ペレアスの死の場面は室内プール。このオペラを知っている人は、少し頭を切り替えればわかる設定ではあるのですが、初めて見る人は、少し、いや大いに戸惑ったことでしょう。しかし、こういった舞台はしょっちゅう観られるものではないので、先生は頭の体操を大いに楽しみました。
演出家のケイティ・ミッチェルは、このオペラを「メリザンドの見た夢」として描いています。それを具体的に示すために、「メリザンドの分身」という俳優を用意し、メリザンドの周囲を常に徘徊させ、「夢を見ているメリザンドを見ているメリザンド」として演技させています。最初は「何と邪魔な存在か」と思ったのですが、最後死んだはずのメリザンドがベッドの上で目覚めた瞬間、「ほー」と感嘆してしまいました。確かに、お客さんの中には、最後まで理解不能に陥り、演出家に対して「ブーイング」したそうな感じではありました。今は、開幕の際に「ブラボーなどのご声援はお断りします」と平板な声で注意がありますので、誰も意思表示できなく、きっとイライラしていることでしょう。
歌手は総じて出色の出来栄えだったと思います。ヨーロッパでもこれだけの歌唱を聴くことはなかなかできないのではないかと思ってしまいました。
まず悩めるゴローを歌った、ロラン・ナウリさんが素晴らしかった。彼はこのプロダクションがフランスのエクサンプロヴァンスで初演されたときにゴローを歌っているので、この演出については一日の長があります。それを抜きにしても、歌唱から演技まで本当に素晴らしかった。
ペレアスという役は、このオペラと同様不思議な役で、常に「僕は旅立つ」と言いながら、一向に出発しない。そんな葛藤にまみれた役です。テノールでもバリトンでもどちらでも歌われます。今回は、テノールのベルナール・リヒターさんが歌いました。滑らかな歌唱が印象的でした。ペレアスも、歌わない場面に登場し、重要な演技をしていました。
メリザンドのカレン・ヴルシュさんは、歌手というよりも歌える女優といった佇まいで、「分身」とどちらがどちらか見分けがつかない時もありました。ほぼほぼ出ずっぱりの難役を、見事に演じていたと思います。音程を修正し、もう少し滑らかな発声だともっと素晴らしかったような。
ジュヌヴィエーヴの浜田理恵先生。オペラコンクールの審査委員でもあります。いつもは「浜田先生」とお呼びしているので、そのように。ジュヌヴィエーヴは、歌う部分は多くないのですが、劇の進行に必要な場合は、登場して存在感を示しました。浜田先生はフランスとは切っても切れない関係。コンクール時にフランス人の審査委員の先生ともフランス語で話されていました。日本人ではないと思うくらい、素晴らしい発音と滑らかな歌唱で、浜田先生のメリザンドを聴いてみたいと思ってしまいました。
浜田理恵先生
浜田 理恵
(審査委員)
大野和士芸術監督率いる東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。フランス音楽って、日本人には難しいですね。良い点もとても多いのですが、なんとなく野暮ったい部分も多くて。今回は全5回の上演。回数を重ねて良くなることを期待したいです。