~今月の作曲家~「クレネク」(2022年8月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(8)】

クレネク

Ernst Krenek Wien Argauergasse 3
エルンスト・クレネクの記念碑
  User:Walter Anton,
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エルンスト・ハインリヒ・クレネク(Ernst Heinrich Krenek)は1900年8月23日ウィーンで生まれた作曲家です。彼の苗字は、チェコを由来とする家系のため、「Křenek」のように、「r」の上に「ハーチェク(ˇ)」を付けた綴りで書かれることもあります。そのため「クルジェネク」、「クシェネク」などのカタカナで表記されることもあります。本人は、「クレネク」と呼んでほしかったようなので、ここでは「クレネク」とします。
軍人の息子として生まれた彼は、1916年からウィーン音楽アカデミー(Wiener Musikakademie)において、フランツ・シュレーカー(1878-1934)に師事し作曲の勉強を始めます。シュレーカーは2022年3月に「今月の作曲家」としてご紹介しましたね。第一次世界大戦の最中、従軍の必要がありましたが、作曲の勉強を続けることができたそうです。大戦後、シュレーカーのベルリンへの栄転に従い、1920年からは、ベルリン高等音楽院(Berliner Musikhochschule)に学びます。シュレーカーの弟子としては、クレネクが一番有名かつ優秀だと先生は思っています。ベルリンでは、作曲家のフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)や、指揮者のヘルマン・シェルヘン(1891-1966)など、重要な人物と出会っています。
一時期を共に過ごした女性ともこの時機に出会っています。アンナ・マーラー(1904-1988)です。1924年、二人は結婚します。アンナは、作曲家のグスタフ・マーラー(1860-1911)とアルマ・マリア・マーラー・グロピウス・ヴェルフェル(1879-1964)の次女で、離婚歴!があり、ベルリンに遊学中でした。アルマは、クレネクに、夫の未完の交響曲第10番の補完を要請します。全五楽章からなるこの曲のうち、クレネクは第1楽章と第3楽章のみ手を付け、その他は賢明にもアルマに返したようです。現在でこそ、いろいろな音楽学者による五楽章版の演奏会がありますが、先生はマーラーのオリジナルの第1楽章のみを聴きます。結局その年のうちに、二人は離婚しました。母アルマは生涯に三人、アンナは生涯に五人と結婚しました。
ストラヴィンスキーの紹介をしたときに、大きく3つの作風の変遷があったとご紹介しました。それに劣らず、クレネクも多くの作風の変化がありました。最初は、師シュレーカーの影響で、後期ロマン派の作風。それから、ブゾーニやシェルヘンなどの影響で、無調の曲を書きます。その後パリに遊学し、イーゴル・ストラヴィンスキーやパリ6人組の音楽に触れると、新古典主義やジャズ影響を受けた作風となります。その後十二音技法を取り入れたり、電子音楽に影響されたりと、本当に目まぐるしく変遷しました。
さて、アンナと別れたクレネクは、1925年にカッセル州立劇場の総監督であったパウル・ベッカー(1882-1937)のアシスタントとして抜擢されます。不安もあったクレネクでしたが、劇場の観客が現代音楽に対する反応をつぶさに観察できるという利点を見出します。そして自ら台本を執筆して仕上げたオペラ「ジョニーは演奏する」が、1927年にライプツィヒで初演されました。ジャズの影響を受けたこのオペラは瞬く間にヨーロッパを席捲、経済的にも彼を潤しました。「ジョニー」という名前のタバコまで売り出されたと言います。
しかし時は1927年。世界大恐慌の嵐が吹き始めていた頃。また、全体主義の足音が聞こえ始める時代。1928年のウィーンでの初演では、「半ユダヤ系チェコ人」の作曲家による、「ユダヤ系黒人」の出てくるオペラというレッテルを張られてしまいます。クレネクは、ユダヤ人でもチェコ人でもありません。また、ミュンヘンでの公演では、ナチスにより劇場に悪臭爆弾が投げ込まれ、妨害されるということもありました。ドイツでナチスが政権を握った1933年以降、クレネクの音楽は、「頽廃音楽」として演奏禁止処分となりました。
そんな中でも、1929年に作曲された歌曲集「オーストリア・アルプスの旅行記」は、フランツ・シューベルト(1797-1828)の影響が見られ、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」にみられる連作歌曲を下敷きにし、ロマン主義への回帰が感じられます。
1930年に入り、1934年にウィーン国立歌劇場で初演するための新作、オペラ「カール5世」の依頼があります。このオペラは十二音技法を取り入れた最初の本格的なオペラでした。しかし、ナチスからウィーン国立家劇場に圧力がかかり、初演はできませんでした。結局1938年、プラハで演奏会形式により初演。ウィーン国立歌劇場で「カール5世」が演奏されたのは、50年後の1984年のことでした。
1930年代、クレネクに教えを受けた日本人がいます。橋本國彦(1904-1949)です。彼は1934年から1937年にかけてウィーンに留学しており、主としてエゴン・ヴェレス(1885-1974)に師事していました。その傍ら、クレネクやアロイス・ハーバ(1893-1973)にも教えを請い、帰国直前にはロサンゼルスまで足を延ばし、アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)にも教えを受けています。惜しむらくは、彼が44歳という若さでこの世を去ったということ。十二音四分音(半音のさらに半音を用いた作曲法)などを用いた作品を世に送り出していたことでしょう。
Hashimoto Qunihico
橋本國彦
(1904-1949)
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政情不安から、クレネクも亡命という選択をします。1938年にアメリカに渡り、大学で講義をするようになります。亡命から間もなくして書かれた合唱曲「エレミアの哀歌」は、十二音技法とルネサンスの対位法を融合させた、素晴らしい作品です。この時期に名前の「ハーチェク」を取り、1945年にはアメリカの市民権を得て、名前も英語風に「アーネスト・クレネク」としました。ニューヨーク州のヴァッサー大学や、ミネソタ州セントポールのハムライン大学で教鞭をとり、そこで当時教え子だった作曲家のグラディス・ノルデンストローム=クレネク(1924-2016)と出会い、彼らは1950年に結婚します。3度目の結婚生活は、公私ともに安定し、クレネクが死ぬまで続きました。
戦後はヨーロッパでも活動し、指揮者として自作の録音を残してもいます。1966年にカリフォルニア州のパームスプリングスを終の棲家として移り住みます。ここでクレネクは91歳の生涯を閉じます。彼のお墓はウィーンの中央墓地にあります。
クレネクのお墓の写真
(1999年撮影)
クレネクについての詳しい日本語での資料は、残念ながらありません。一番詳しいのは、妻グラディスが2004年に開設した「クレネク研究所」のホームページでしょう。研究所は、ウィーンからドナウ河をさかのぼること約70キロ、「クレムス」という街にあります。ここから船でドナウ河をさかのぼるとヴァッハウ渓谷と呼ばれる風光明媚な風景が広がっています。ヴァッハウ渓谷は、世界文化遺産に認定され、ぶどう畑が広がり、古城や僧院、イギリスのリチャード1世(1157-1199)が幽閉されていたデュルンシュタイン城などを眺めながら、名産の白ワインを片手に、のんびりとドナウ河の船旅を楽しむことができます。話がずれました。ホームページは、ドイツ語と英語のみですが、興味を持たれた方はぜひ!
https://www.krenek.at/

関連書籍

「ernst krenek」​
クレネクに関する書籍
著者:Lothar Knessl
発行:Elisabeth Lafite;Österreichischer Bundesverlag (January 1, 1967)
これはドイツ語で書かれたクレネクについての本です。1967年の発行なので、生涯を通しての解説というよりは、それまでに発表された作品解説といった内容です。譜例を交えつつの解説はとても参考になりました。
「グスタフ・マーラー 生涯と解説」​
Gustav Mahlerに関するクレネクの書籍
著者:E.クルシェネク、H.F.レートリヒ(和田旦 訳)
発行:みすず書房 1981年
この「グスタフ・マーラー 生涯と解説」は、義理の父であった、マーラーについてクレネクが「生涯」について論じたものです。50ページほどの短いもので、後半の(分量の多い)「解説」は、オーストリアの音楽学者でイギリスに亡命したハンス・フェルディナント・レートリヒ(1903-1968)が担当しています。作曲家が見た作曲家という点で、興味深い文章です。
「アドルノ=クシェネク往復書簡」
「往復書簡」の書籍
著者:テオドール・W・アドルノ、エルンスト・クシェネク
発行:みすず書房 1988年
最後はテオドール・W・アドルノ(1903-1969)との往復書簡です。アドルノはドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家。手紙のやり取りの中で交わされた芸術論を通して、クレネクの考え方がよくわかります。書簡だけでなく、交わされた芸術論の下になっている発言や論文も本の中に含まれているので、とても読み応えのある内容になっています。
昔買ったこのような本が、こうした形で陽の目を見ることができ、本たちも喜んでいると思います。

クレネクのオペラ収録CD

クレネクは多作家で、作品番号がついているだけで242曲、作品番号のついていないものもあるので400曲くらいはあるのではないでしょうか。その中でオペラなどの劇場作品は22を数えます。長いものから短いもの、ピアノ伴奏のものもあります。ここでは、一番有名な「ジョニーは演奏する」をご紹介します。

「ジョニーは演奏する」

あらすじ
1920年代
第1部
第1場
作曲家マックスは、アルプスの氷河の中で、インスピレーションを求めているとき、近くのホテルから迷子になった歌手アニータに会う。アニータは、彼の作曲したオペラにタイトルロールで出演したことがあると話す。二人はホテルに戻り、恋に落ちる。
第2場
まもなくアニータは、マックスの新しいオペラで歌うためにパリに出発するとき、マックスは自分の作品に嫉妬する。
第3場
アニータが滞在するパリのホテルでは、黒人ジャズバンドのヴァイオリニスト、ジョニーが演奏している。彼はメイドの一人であるイヴォンヌと関係を持っている。ジョニーは、同じホテルに滞在している有名なヴァイオリニストのダニエッロの持つ名器「アマティ」を追いかけている。ジョニーがダニエッロの部屋に侵入しようとしたとき、アニータが公演から戻ってくる。ジョニーはアニータを誘惑しようとするが、ダニエッロに邪魔される。今度はダニエッロがアニータを誘惑しようとし、抵抗できないアニータは、彼女の部屋で彼と一夜を共にする。ジョニーはこの機会を利用して、イヴォンヌから手に入れた合鍵でダニエロの部屋に侵入し、ヴァイオリンを盗み、オペラの小道具であるアニータのバンジョーケースに隠す。
ヴァイオリンの画像
第4場
翌朝、アニータはマックスの元へ向かう準備をしている。ダニエッロは、別れの記念にマックスから贈られた指環をもらい受ける。別れの一曲をと準備しようとするダニエッロはヴァイオリンの盗難を発見し、ホテルのマネージャーと警察に伝える。マネージャーは、イヴォンヌを疑って解雇する。アニータは彼女を慰め、メイドとして雇うことにする。ダニエッロは、アニータとマックスとの間を割くため、イヴォンヌにその指環を渡し、嫉妬させるようこっそりマックスに渡すように頼む。アニータのマネージャーは彼女に儲けのあるアメリカツアーの話をする。ジョニーはホテルとの契約を解き、「アマティ」を手に入れるためにアニータを追いかける。
第2部
第5場
アルプスのアニータの家でマックスは、予定の列車で帰ってこないアニータを一晩中起きて待っていた。
第6場
翌朝ようやくアニータが帰ってくるが、彼女はほとんど愛情深くなく、バンジョーケースをピアノの上に置き、アメリカツアーの話をする。氷河のように安定したものを求めるマックスと、常に動いていることを好むアニータ。イヴォンヌが到着し、マックスに指環を渡す。意味するところを理解したマックスは氷河のもとへ去る。その後ジョニーが現れ、イヴォンヌと再会する。喜ぶ彼女を後目にジョニーは、アニータのバンジョーケースからヴァイオリンを回収し、去る。
第7場
第1場と同じ氷河にマックスは到着する。氷河に耳を澄ますと突然、ホテルのスピーカーからアニータの歌うマックスのオペラのアリアが聞こえてくる。その歌声が彼を生き返らせる。マックスは、アメリカに向かうアニータに会うため、駅に向かう。そのスピーカーから次に流れたのは、ジョニーのジャズバンドだった。その音楽をダニエッロも聞いていた。ジョニーの弾いているヴァイオリンは、まさに名器「アマティ」。ダニエッロはジョニーがヴァイオリンの盗難犯であることに気付き、警察に報告する。
第8場
三人の警官がアメリカに逃げようとするジョニーを追う。警官の一人は、ジョニーが落としたアムステルダム行きの切符を見つける。
第9場
マックスは偶然同じ駅にやって来る。ジョニーはマックスの荷物が置かれているのを見て、そのそばにヴァイオリンを置く。警官たちはそのヴァイオリン見つけ、マックスを逮捕する。満足するダニエッロ。しかし本当の泥棒を知っているイヴォンヌは、マックスの無実を説明しようと走り出すが、それをダニエッロに阻止される。彼女に押しのけられたダニエッロは、線路に転倒、到着する列車によって轢き殺される。
第10場
警察署の前で、イヴォンヌはヴァイオリンを取り戻す機会を待っているジョニーと出会う。彼はイヴォンヌにヴァイオリンとマックスの両方を救うと約束する。マックスは今までの自分の態度を変える時だと気付き、ジョニーの奮闘で駅に戻る。
第11場
駅では、アムステルダム行き午前11時58分発の列車の出発が迫っている。土壇場でマックスが現れ、出発する列車に飛び乗り、アニータの腕の中に飛び込む。12時を打った時計がゆっくり下りてくる。ジョニーはヴァイオリンを持って時計に飛び乗ると、それは大きな地球儀に変わる。ジョニーはその上でヴァイオリンを弾くと、主要な登場人物が現れ、ジャズのリズムに合わせて歌い、幕となる。
地球のイラスト
録音
かつて、日本版が発売されていました。もちろん対訳もついています。指揮をするツァグロセークは、劇場の人。長くシュトゥットガルトの歌劇場で音楽監督を務め、この歌劇場の名を高めた立役者です。このハチャメチャなオペラを手堅くまとめ、歌手たちものびのびと歌っています。他には抜粋版があるだけで、比較ができないので、店頭などで見つけたら即お買いになることをお勧めします。
「ジョニーは演奏する」のCD
ウィーン国立歌劇場では、毎年クリスマスシーズンにあわせて12月に新演出のオペラ上演を行っています。2002年の出し物は、この「ジョニーは演奏する」でした。これはその時のプログラムです。確か予定されていた演出家が亡くなって別の演出家による上演だったように記憶しています。この時は、第1部と第2部の間に休憩が入るのではなく、第2部第5場の終った後で入ったように記憶しています。スコウフスのジョニーがこれまた素晴らしかったこと。このハチャメチャなオペラを、あの小澤征爾をしても、まとめるのが難しかったと見えます。評判は芳しくなかった。先生も同胞の活躍を応援したい気持ちはあるのですが、こういった作品の演奏に長けている、他の指揮者で聴きたかったと感じました。
ウィーン歌劇場配役表