~今月の作曲家~「ブゾーニ」(2023年4月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(16)】

ブゾーニ

ブゾーニって誰?という人が多いと思います。有名な曲は…。J.S.バッハのなどの作品の校訂を行ったことが有名ですね。
ブゾーニ
Public Domain, via Wikimedia Commons
フェッルッチョ・ブゾーニ
(1866-1924)
ダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・フェッルッチョ・ブゾーニは、1866年4月1日にイタリア・フィレンツェ近郊のエンポリで生まれました。父フェルディナンドは、クラリネット奏者で画家としても活躍していました。母アンナ(旧姓ヴァイス)は、ピアニストで、両親から音楽的な才能を受け継ぎました。まもなくして当時オーストリア領だったトリエステに引っ越し、その地で両親とともに行ったコンサートで、神童として華々しくデビューします。当時ブゾーニは7歳でした。
9歳の時に支援者からの援助を受け、ウィーン音楽院に学びます。そこでフランツ・リストの演奏を聴き感銘を受けます。そのことが後年、リストの楽譜の校訂も手掛けることに繋がります。多くのピアノ曲を作曲していますが、後年「意味がない」と破棄されています。
1879年から、オーストリアのグラーツヴィルヘルム・マイヤー(1831-1898)に就いて研鑽を積み、「作品番号1」となる声楽曲(現在は失われています)や、オルガン曲を作曲しています。マイヤーに就いたのは1年半という短い期間でしたが、15歳にして優秀な成績をもって終了しています。
1881年、ボローニャに移り、「アカデミア・フィラルモニカ・ディ・ボローニャ」という音楽団体に15歳という若さで会員として認められています。もれは、モーツァルトが同会員に14歳で認められたのに次ぐ若さと言われています。
その後はウィーンで過ごします。ウィーンではヨハネス・ブラームス(1833-1897)やアントン・ルビンシテイン(1829-1894)にも会っています。また、カール・ゴルトマルク(1830-1915)のオペラ「マーリン」のピアノ伴奏譜の編曲を手伝い、オペラを知ることになります。また、1886年にはライプツィヒに移り、教鞭をとります。この頃、オペラの創作を試み、あと一歩のところまで至りますが、完成させることはありませんでした。
1888年、彼はヘルシンキ音楽院(現在はシベリウス音楽院)でピアノ教師として教えます。その時は、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウス(1865-1957)と知り合います。その後1890年に開催された、アントン・ルビンシテイン国際音楽コンクールに、ピアノと作曲で挑みます。その結果、ピアノは第2位作曲は第1位でした。これにより、彼はモスクワに招かれモスクワ音楽院で教えることになります。
モスクワでは、スウェーデンの彫刻家の娘であるイェルダ・ショーストランド(1862-1956)と結婚しました。彼らには2人の息子、ベンベヌート(1892年生まれ)とラファエロ(1900-1963)が生まれました。その後アメリカに渡り、ニューイングランド音楽院で教鞭をとります。この頃、J.S.バッハの「シャコンヌ」の編曲を手掛けています。

豆知識(1)「シャコンヌ」

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の「シャコンヌ」は、正式には「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」のなかの一曲です。全て「舞曲」の形式で作曲された5楽章からなり、シャコンヌはその掉尾を飾る大作です。「シャコンヌ」とは、3拍子の舞曲で、ドイツ人だったバッハは、ドイツ風に「ciaccona(チャッコーナ)」と記譜しています。大変有名な楽曲で、ヴァイオリン独奏のみならず、ブゾーニによるピアノのための編曲や、ブラームス左手のみで演奏されるためのピアノ編曲、多くのバッハの作品を、オーケストラで演奏するために編曲したことでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキー(1882-1977)によるオーケストラ版、「サイトウ・キネン・オーケストラ」として現在もその名が受け継がれているチェリスト・教育者・指揮者の斎藤秀雄(1902-1974)によるオーケストラ版など、様々な編曲があります。
Johann Sebastian Bach
  Elias Gottlob Haussmann, Public domain, via Wikimedia Commons
ヨハン・セバスティアン・バッハ
(1685-1750)
1893年、彼はベルリンに居を構えます。ベルリンを拠点として、ドイツやオーストリアに留まらず、イギリスやイタリア、アメリカでもレッスンを行います。その中には、後年日本でピアノ教師となったレオ・シロタ(1885-1965)もいました。日本人のような名前ですが、キーウ生まれのウクライナ人です。
この頃、オペラ第1作となる「嫁選び」のテキストが書き始められています。ブゾーニもワーグナーと同じく、自分で台本を書き作曲しました。これはE.T.A.ホフマン(1776-1822)の「ゼラピオン同人集」の中に含まれる「嫁選び」をもとに、同じ同人集の「隠者ゼラピオン」からもヒントを得ています。後で紹介するCDの解説によると、オットー・クレンペラー(1885-1973)がこのオペラに興味を示し、プラハの新ドイツ劇場で初演をと考えていましたが契約には至らず、1912年4月13日にハンブルク市立劇場で初演されました。指揮はグスタフ・ブレッチャー(1879-1940)、主演の一人はエリーザベト・シューマン(1888-1952)でした。結果として評価は芳しくなく、翌年マンハイムで上演されたのち、ブゾーニの生前に演奏されることはなかったそうです。クレンペラーは上演の機会を狙っていたようですが。
ブゾーニは1905年に、カルロ・ゴッツィ(1720-1806)の原作による「トゥーランドット」を主題にした組曲を作曲します。ゴッツィは、ヴェネツィア出身のコンメーディア・デッラールテ(16世紀にイタリア北部で興った仮面を使用する即興演劇)の作家として知られています。その後1911年、ベルリンのドイツ劇場で、演劇の「トゥーランドット」の上演があり、ブゾーニは完成していた組曲に手を加え、その演劇のための付随音楽としました。なんと、この上演をプッチーニが観ていたとか。
1912年には、コンメーディア・デッラールテの芝居をボローニャで観ています。その登場人物の一人である「アルレッキーノ」を主人公にしたオペラを創作します。その際、まずオーケストラ曲である「アルレッキーノのロンド」を作曲し、その素材を生かしながらオペラへと発展させました。このころ、作曲家のアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)との交流が生まれ、自宅に招き、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を演奏しています。
チューリヒで、「アルレッキーノ」の初演の話が持ち上がります。しかし、上演時間が1時間ほどだったため、一晩で上演するには短すぎます。そこで、劇付随音楽として作曲していた「トゥーランドット」をオペラ化し、ダブルビルで上演されることになりました。初演はチューリヒの歌劇場で1917年5月11日、ブゾーニ自身の指揮により行われました。

豆知識(2)「トゥーランドットの3つのなぞなぞ」

トゥーランドット姫は、求婚する王子に3つのなぞなぞを出し、答えられたら結婚するが、答えられなかったら首をはねるという、恐ろしい課題を課していました。このなぞなぞの答えは、色々あるのです。
ゴッツィの原作は、「太陽」、「年月」、「アドリアの獅子」で、ブゾーニは「理性」、「習慣」、「芸術」、プッチーニは「希望」、「血潮」、「トゥーランドット」でした。
イラスト
さて、最後のオペラ「ファウスト博士」は、ブゾーニが長年温めていた題材でした。初めはゲーテの大作をオペラ化しようと台本を執筆しますが、なにせ長大な作品だけに、なかなか筆が進みません。そんな折、「中世の人形芝居」の存在を知ります。かのゲーテも、その人形芝居を底本に「ファウスト」を執筆したといいますから。
「ファウスト博士」の台本は、1914年末には完成を見ます。しかし、第一次世界大戦の勃発チューリヒへの疎開、「ダブルビル」の初演、ピアニストとしての演奏旅行など、忙しい毎日を送り、戦後の1920年にベルリンへと帰還した後作曲に励みます。「ファウスト博士」の初演は、1925年にドレスデン州立歌劇場でと決まっていました。しかし腎臓障害の兆候が見られ、1924年7月27日、あと少しというところまでこぎつけた「ファウスト博士」を完成することなく亡くなります。残された部分は、弟子のフィリップ・ヤルナッハ(1892-1982)が補完し、1925年5月21日にドレスデン州立歌劇場で初演されました。しかしながら、日程的にぎりぎりだったのと、ヤルナッハの作曲語法がブゾーニと完全に一致しているわけではなかったので、1984年に音楽学者で指揮者でもあるアントニー・ボーモントにより新たな版がつくられました。

ブゾーニのオペラ

「ファウスト博士」

長大なオペラで、場面割りも複雑なので、まず、構成をご紹介します。
  シンフォニア
  序幕1
  序幕2
  幕間劇
  主幕第1景
  交響的間奏曲(サラバンド)
  主幕第2景
  主幕終景
  *ブゾーニは、主幕の第2景と終景の一部を完成させることができませんでした。
あらすじ
16世紀のドイツ(ヴィッテンベルク、ミュンスター)とイタリア(パルマ)
シンフォニア 復活祭の情景
「pax(平和を)」との合唱が、舞台裏から聞こえる。
(幕間に、詩人が創作理念を観客に語る。これは省略される場合が多い。)
序幕1 ヴィッテンベルクのファウストの書斎
助手のワーグナーが、クラカウから三人の学生が面会を求めてやって来たことをファウストに伝えるが、ファウストは会うのを断る。しかし「アスタルテの魔法の鍵」という本を持ってきたことを聞き、会うことにする。学生たちは本と鍵とその譲渡書をファウストに渡すと、忽然と姿を消す。
イラスト
序幕2 同じ書斎 真夜中
ファウストは魔法の本を開き、を呼び出す。6つ現れた霊に「どれだけ速く動けるか」を問う。最初の5つの霊の答えにファウストは満足しない。6つ目の霊が「人の思考のごとし」と答えるのでファウストは満足し、その霊を自分に仕えさせる。霊は「メフィストフェレス(以下メフィスト)」と名乗り、現世ではファウストに仕えるが、あの世ではメフィストに仕えるよう要求する。ためらうファウストにメフィストは、ファウストがこれまで行った悪行を挙げ、その代償を求める人々がファウストに迫っていると脅す。ファウストは彼らを殺すよう命じ、すぐさま彼らは死ぬ。こうして、二人は契約を結ぶ。遠くから復活祭の合唱が聞こえる。
幕間劇 ミュンスターの大聖堂の中のロマネスク様式の礼拝堂
ファウストが捨てたグレートヒェンの兄(兵士)が、ファウストに復讐しようと神に祈っている。ファウストは、メフィストに兄を殺すよう命じる。そこに上官殺しの犯人を捜しに大勢の兵士が現れる。彼らは兄をその犯人と決めつけ、兄を殺す。
主幕第1景 パルマ公爵の宮廷の庭園
パルマ公爵の婚礼が執り行われている。その余興にファウスト博士が招かれ魔術を披露することに。ファウストは公爵夫人に請われ、過去の英雄とその恋人であるソロモン王とシバの女王サムソンとデリラを出現させる。そのペアは、どれもファウストと公爵夫人に似ている。最後にヨハネとサロメを出現させ、首切り役人は公爵にそっくり。ファウストは公爵夫人に言い寄る。怒った公爵は余興を止めさせ、ファウストを食事に招待する。メフィストは食事には毒が入っているから行くなと忠告する。公爵夫人はもはやファウストに心奪われ、二人は駆け落ちする。メフィストは公爵に、その事実を伝え、新しいお妃候補を推薦し、公爵に取り入ることに成功する。
交響的間奏曲(サラバンド)
主幕第2景 ヴィッテンベルクの居酒屋
学生たちが議論している。やがてカトリックプロテスタントの違いについて議論になり、カトリック側は「テ・デウム」を、プロテスタント側は「神はわがやぐら」を引き合いに出し、大騒ぎとなる。やがて議論は恋愛体験に発展し、ファウストは公爵夫人との顛末を語る。そこへメフィストが、ファウストと公爵夫人との間にできた子どもの死骸を持って現れ、公爵夫人が死んだことを伝える。メフィストは死骸を藁人形に変え燃やす。その火の中に(トロイの)ヘレナが現れる。学生たちは驚いて去る。ファウストがヘレナの幻想に取りつかれていると、クラクフからの学生が現れ、預けた本などの返還を求める。ファウストは失くしたといって取り合わない。学生たちは、今夜ファウストの命が尽きると言って去る。
藁人形のイラスト
主幕終景 ヴィッテンベルクの街路
夜警の姿をしたメフィストが現れる。ファウストの後任として新しい学長に選ばれたワーグナーを学生たちが祝っている。彼らが去ると疲れ切ったファウストが現れる。ファウストは、街角の女の物乞いに残ったものを与えようとするが、その女が死んだはずの公爵夫人だとわかる。公爵夫人は、「残された時間でやるべきことを行いなさい」と言い残し、二人の間にできた子どもの遺骸を預け消える。ファウストは教会に入ろうとするが、入り口で完全武装したグレートヒェンの兄に行く手をふさがれる。ついにキリスト像までもがヘレナの幻影に変わる。ファウストは子どもを地面に置き、自分自身に最後の魔法をかけ死ぬ。子どもは青年の姿になって歩き出す。夜景が現れ、死んだファウストに向かって「おや、不慮の死か?」とつぶやき幕となる。
(エピローグとして、ブゾーニによるまとめの文章が語られる場合もある。)

参考CD

意外に、いくつかの音源があります。違いがあって、おもしろいです。
参考CD(1)
指揮:フェルディナント・ライトナー
ファウスト博士:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
メフィストフェレス:カール・クリツティアン・コーン 他(1969年録音)
このオペラの嚆矢とも言うべきCDです。この録音が頭にこびりついているので、先生にとっての「パブロフの犬」的録音です。性格描写の緻密なディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)の見事さ、脇役の豪華さ、ドイツオペラの名指揮者フェルディナント・ライトナー(1912-1996)の手堅い指揮も、この作品を広く啓蒙するのに役立っています。ヤルナッハの補完による録音です。
参考CD(1)
参考CD(2)
指揮:ケント・ナガノ
ファウスト博士:ディートリヒ・ヘンシェル
メフィストフェレス:キム・ベグリー 他(1997年&98年録音)
この録音の凄いところは、ヤルナッハとボーモントの補完の違いを聴くことができるところです。CDプレイヤーのプログラム機能を使えば、どちらかを選んで聴くことができます。参考文献としても高い価値を持つCDです。また、この録音は、実際の上演の前後に録音されたもので、各歌手が適材適所に選ばれています。ファウストは、当時「フィッシャー=ディースカウの後継者」として呼び声の高かった同じファーストネームを持つヘンシェル。また、エピローグとプロローグの語りの詩人が、なんとフィッシャー=ディースカウ
参考CD(2)
参考CD(3)
指揮:トーマシュ・ネトピル
ファウスト博士:ヴォルフガング・コッホ
メフィストフェレス:ジョン・ダスザック 他(2008年録音)
こちらは、バイエルン州立歌劇場のライヴ録音です。なんと潔いのが、ブゾーニが作曲した部分だけしか演奏されていません。劇場のライヴでこれほどの難曲を上質な演奏で録音できるとは、なんとも素晴らしいことです。
参考CD(3)
その他のオペラ
「嫁選び
ベルリン州立歌劇場の音楽監督を長年務めたダニエル・バレンボイムの指揮で。
参考CD(4)
「アルレッキーノ&トゥーランドット​」
こちらも、ケント・ナガノの指揮で。
参考CD(5)
国内でも、ブゾーニのオペラの上演はありました。最近はあまり聞きません。
上演に接することができたことを幸せに思います。ともに、2002年の上演から。
「ファウスト博士」
プログラム(1)
ちなみに、原語指導のヨズア・バーチュさんの息子さんは、今テレビに引っ張りだこの声優さんです。誰でしょう?ハズレても、首ははねませんのでご安心を!
「トゥーランドット」
プログラム(2)
答え:木村昴さんでした!