世界の劇場「ザクセン州立歌劇場」

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(44)】
ドレスデン州立歌劇場や、設計者の名前をとって、ゼンパーオーパーとも呼ばれます。オーパーはドイツ語でオペラのことです。その名の通り、ザクセン州の州都ドレスデンにある州立の歌劇場です。かつては、ドレスデン国立歌劇場という名前で親しまれていましたが、1990年に東西ドイツが統一され、16の州の集合体の1つ「ドレスデン州」となったため、「Sächsischen Staatsoper Dresden(ザクセン州立歌劇場ドレスデン)」となりました。ドレスデン州立歌劇場のオーケストラは、シュターツカペレ・ドレスデンと呼ばれますが、これは1548年、ザクセン選帝侯の宮廷楽団として設立されました。今日まで続く歴史の長いオーケストラの一つです。
Dresda Semperoper
Jacopo, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ゼンパーオーパー
ドレスデンのオペラの歴史は、フィレンツェでオペラが誕生して間もなく開始されたと伝えられています。ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)のドイツ語による最初のオペラ「ダフネ」(1627年初演)も、この地で作曲されています。シュッツは、ドイツ中部テューリンゲン州ケストリッツの生まれでしたが、ヴェネツィアでも研鑽を積みます。ドレスデンには、1615年にやってきて、ザクセン選帝侯の宮廷楽団の指揮者を務めました。オペラ「ダフネ」は、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世(1585-1656[在位:1611-1656])の長女ゾフィー・エレオノーレ(1609-1671)とヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世(1605-1661[在位:1626-1661])との結婚に花を添えるために上演されています。その後1667年、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク2世(1613-1680[在位:1656-1680])の命により、宮廷劇場が建設されました。いくつかの劇場の変遷を経て、1841年にゴットフリート・ゼンパー(1803-1879)設計により、現在の形に建てられました。
御多分に漏れず、ドレスデンの領主も、金に糸目をつけず芸術品を集めたり、豪華な建物を建てさせたりしました。それ故ドレスデンは「エルベ河畔のフィレンツェ」と呼ばれる美術都市となったのです。先生も何度かドレスデンを訪れましたが、訪れるたびにその美しい街並みに圧倒され、歴史的建造物が再建されるのを目の当たりにしました。美術品や工芸品の多さにも驚愕し、フェルメールフリードリヒなどの絵画に目を奪われました。それと同時に、戦争の悲惨さを思い知ることにもなりました。

豆知識「おたずね者のゼンパー」

リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)が、革命に身を投じておたずね者になったというお話は以前しましたね。実はこの革命にゼンパーも関わっていて、死刑判決を受けてしまいます。その結果ワーグナー同様、1849年にドレスデンを去ることになります。実は、1826年に決闘事件を起こし逃亡、3年ほどパリで過ごしました。
Gottfried Semper 1879
Franz von Lenbach (1836-1904)
Public domain, via Wikimedia Commons

ゴットフリート・ゼンパー
(1803-1879)
こういった経験が創作の肥やしになったかはわかりませんが、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館やウィーンのブルク劇場など、ゼンパーの関わった建築はとても素晴らしく、現在も使用されています。
この歌劇場では、ワーグナーの「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」が初演されました。またリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の「火の欠乏」「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」「エジプトのヘレナ」、「アラベラ」「無口な女」「ダフネ」が初演されています。これは、彼が作曲した全15作のオペラのうち8作であり、半数以上です(「インテルメッツォ」もドレスデンで初演されていますが、シャウシュピールハウス[演劇劇場]でした)。1911年に「ばらの騎士」が初演されたときは、このオペラを観るためにベルリンから「ばらの騎士号」なる特別列車が仕立てられたと言います。
第二次世界大戦で、ドイツ国内は多くの被害に遭いましたが、ドレスデンは戦争末期までは、比較的被害が多くありませんでした。「エルベ河畔のフィレンツェに空襲などあるはずがない」と多くのドレスデン市民は思っていたと言います。しかし戦争末期1945年2月、ドレスデンは無差別爆撃に遭い、多くの建物が瓦礫の山と化しました。軍事施設があるわけでもなく、今となっては意味のない空襲だったと言われていますが、25,000人もの人が亡くなりました。歴史的に価値のある建物や美術品も多く、日本でいうと、京都が空襲に遭ったと思っていただければ、その喪失遺産の多さがわかっていただけると思います。この歌劇場も例外ではなく使用不可能なまでに破壊され、長らく無残な姿を晒していました。また、ドレスデンを象徴するフラウエン教会も瓦解しました。戦後のオペラ上演は、「インテルメッツォ」が初演されたシャウシュピールハウスを急遽修復し、続けられました。
その後歌劇場や様々な歴史的建築物の再建が進み、戦後40年を経た1985年、東ドイツ政府の威信をかけ、爆撃のあった2月13日に「魔弾の射手」で再オープンしています。ドレスデンでは毎年2月13日に、空襲追悼のメモリアル・コンサートが開かれています。またフラウエン教会の再建も1985年に決められ、ドレスデンの建築物再建の象徴的な存在として位置づけられ、2005年に完成しています。
完成間近の2004年1月のフラウエン教会
完成間近の2004年1月のフラウエン教会

現在のフラウエン教会 (2008年撮影)
Aerial photo Dresden re-construction of the Church of Our Lady Frauenkirche photo 2008 Wolfgang Pehlemann Wiesbaden Germany HSBD4382
Wolfgang Pehlemann, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

この歌劇場のピットに入るシュターツカペレ・ドレスデンは、その音色をいぶし銀と称えられ、強靭な音でもそのフォルムを崩すことなく発せられます。2004年、先生は「トリスタンとイゾルデ」をこの劇場で観ましたが、ペーター・シュナイダーの指揮のもと、ワーグナーが理想としたのはこのような音だろうなと思わせるような演奏でした。
「トリスタンとイゾルデ」プログラム
この劇場には、ちょっと変わった施設があります。それは、ステージ上部の壁に設置された時計です。アナログなデジタル時計とでも言いましょうか、5分刻みに時を告げています。観劇するときは時間を忘れて楽しむものなので、時計は目に付く所には設置されていません。この時計は、ちょっと変わった理由で設置されました。奥さんに連れてこられ、観劇に飽きた旦那さん。懐中時計のふたを開けて時間を見る。極めて頻繁に。王様は懐中時計のふたのパカパカ音が気になる。そこで、懐中時計を見る必要のないよう時計の設置を命令した、ということらしいです。
ゼンパーオーパーの時計​
ゼンパー・オーパーの時計
時間はローマ数字、分は普通の数字で表しています。
冬のゼンパーオーパー
冬のゼンパーオーパー
ドレスデン州立歌劇場やシュターツカペレ・ドレスデンの音源をいくつか紹介します。
♪プフィッツナーとR.シュトラウスの管弦楽集
「ドン・ファン」と「サロメの7つのヴェールの踊り」は1939年、プフィッツナーの交響曲とR.シュトラウスの「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」は1941年の録音です。この4曲はカール・ベーム(1894-1981)の指揮。「祝典前奏曲」はクルト・シュトリーグラー(1886-1958)の指揮。何と言っても貴重なのは、空襲で破壊される前のフラウエン教会のオルガンの音が「祝典前奏曲」で聴けることです。
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♪R.シュトラウス管弦楽集
ルドルフ・ケンペ(1910-1976)が、1970年から76年に集中して録音されたものです。このオーケストラが持つ柔軟な響きを楽しめます。多くの管弦楽曲が収録されているので、愛蔵するにはもってこいの全集です。
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♪R.シュトラウスのオペラ「影のない女」
1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者に就任したジュゼッペ・シノーポリ(1946-2001)。歌劇場でも盛んにオペラの指揮をしました。その中の1つ、R.シュトラウスの「影のない女」です。ライヴ録音のため、カットが見られますが、鑑賞に堪えられないほどのものではありません。むしろライヴ録音にもかかわらず、こんなに透明感のある音楽を創ることができることを脅威に思いました。このオペラを敬愛している先生の愛聴盤です。
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♪ブルックナー交響曲第9番
ザクセン州立歌劇場の音楽監督に就任する前に亡くなったシノーポリの後任には、イタリア人のファビオ・ルイージが就きました。イタリア人ですが、オーストリアのグラーツの音楽大学を卒業し、ウィーンのオーケストラやオペラで指揮をしていたので、イタリア音楽以外でも注目されています。現在はNHK交響楽団を率いていますね。
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ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
現在は、クリスティアン・ティーレマンに率いられています。ザルツブルクでの録音ですが、かれらの今の音楽を聴くことができます。
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彼らは来日も多く、様々な名演を遺しています。
1995年に、シノーポリと行ったR.シュトラウス・フェスティバル。先生はこの時「エレクトラ」を聴いたのですが、その音の洪水に圧倒されました。
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シノーポリの早すぎる死の後、シュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者になったのは、オランダ人のベルナルト・ハイティンク(1929-2021)でした。悠久の時を感じさせる自然体な音楽創りはとても好感が持てます。2004年に行われた、ハイティンクとの日本ツアー。彼の指揮するアントン・ブルックナー(1824-1896)の交響曲第8番は、先生のなかでも最高のコンサートの一つです。
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ルイージに率いられたザクセン州立歌劇場は、2007年に来日公演を行い、「タンホイザー」「ばらの騎士」「サロメ」を上演しています。カミッラ・ニールンドさんのサロメがなかなか妖艶で、淫靡な演出も相まって、なかなかの注目を集めていた記憶があります。
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ティーレマンとの来日では、色々な名演が行われましたが、先生としてはこの上演は外せませんでした。ワーグナーの「ラインの黄金」です。サントリーホールに簡単な舞台を設え、簡単な演技付きでの上演は、下手な本格的な演出よりも説得力があり、音楽に集中できました。
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