オペラの種類(2)~ドイツ・オペラ~

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(13)】
ドイツでのオペラは、17世紀前半に現在のオーストリアや南ドイツから北上していったと考えられています。その後1627年に最初のドイツ語のオペラ「ダフネ」ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)により作曲され、ドレスデン近郊で初演されています。残念ながら楽譜は残されていません。現存する最古のドイツ語のオペラも「ダフネ」で、1671年のことでした。
宮廷文化として広まったオペラですが、1678年ハンブルクにイタリア以外では初の市民のためのオペラハウスができました。貴賤を問わず、依然としてイタリア・オペラが優勢でしたが、19世紀にに入ると、イタリアの影響を脱却しようとする試みがみられ、「ジングシュピール」形式の名作が生まれました。その後巨匠ワーグナーにより、名作が生まれます。初期は「オペラ」という名を付けていますが、その後、「楽劇(Musikdrama)」と名付けた作品を残しました。
「ジングシュピール」
ドイツ語のオペラの1つのジャンルです。「魔笛」はオペラですが、細かく分類すると「ジングシュピール」です。“Singspiel”と綴ります。ドイツ語です。“sing”とは「歌」、“spiel”は、英語の“play”と同意で、簡単に訳すと「歌芝居」となります。「ジングシュピール」は、「ドイツ語の歌とセリフが両方ある劇」です。分量的にはもちろん歌のほうが多いです。「ミュージカル」のご先祖様的な存在ですね。その後、ベートーヴェンの「フィデリオ」ウェーバーの「魔弾の射手」ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」、その他、マルシュナー、ロルツィング、フロトー、コルネリウスなどの作曲家によって、多くのジングシュピールが書かれました。
ワーグナー​
リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の最初期のオペラにはセリフを伴うものもありますが、ほとんどが歌い通す形式をとっています。「ライトモティーフ(示動同期とも)」と呼ばれる特定の人物やその人の感情を表すメロディーを使い、音楽的な統一感をもたらせるよう作曲されています。「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」、「ローエングリン」は「オペラ」と名付けていますが、「トリスタンとイゾルデ」以降の作品では「楽劇」と呼ぶようになりました。最後の「パルジファル」は「舞台神聖祝典劇(Bühnenweihfestspiel)」と呼んでいます。ワーグナーは歌詞も自分で作り、音楽と言葉の密接さを図っています。
ワーグナー​以降
ワーグナー以降のドイツの作曲家は、好むと好まざるとにかかわらず、ワーグナーの影響を受けています。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が彼の後継オペラ作曲家と言えましょう。彼も友人の助言に従って、第1作目は自作の歌詞に作曲していましたが、2作目からは他者のよい台本を求めるようになりました。リヒャルト・シュトラウスと双璧をなすオペラ作曲家として、フランツ・シュレーカー(1878-1934)を挙げておきます。ユダヤ系だったことと短命だったことから、一時期忘れ去られた存在でしたが、1970年代から少しずつ演奏されるようになりましたが、先生はシュレーカーの「はるかなる響き」や「烙印を押された人々」などのオペラが好きです。「はかなる響き」は2000年に日本初演されていますので、お聴きになられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ワーグナーの影響を受けつつも、もう少しわかりやすい内容を扱った「メルヘン・オペラ」も生まれています。フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」が代表です。内容はとても分かりやすく、ヨーロッパなどのクリスマスの定番ですが、フンパーディンクはワーグナーの弟子。音楽的にはがっちりワーグナーの影響下にあります。
その後、無調や12音技法などで作曲されたオペラも生まれ、その中でもベルクの「ヴォツェック」は、今や古典とさえ言われるほど定着した20世紀のオペラです。

豆知識 「フーゴ・フォン・ホーフマンスタール」

モーツァルトのダ・ポンテのように、リヒャルト・シュトラウスが選んだのは、フーゴ・フォン・ホーフマンスタール(1874-1929)でした。彼はオーストリアの偉大な詩人、劇作家、台本作家で、16歳頃から文壇に作品を発表し、その文体は壮年期の作風だったといいますから早熟の天才だったのですね。リヒャルト・シュトラウスとは、お互いの才能を認め合う間柄だったといわれていますが、自分より10歳年上のわがままな作曲家に相当譲歩しながら、15作あるリヒャルト・シュトラウスのオペラのうちの「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」「エジプトのヘレナ」「アラベラ」という6作を協創しています。ホーフマンスタールは長男がピストル自殺したショックで、長男葬儀の当日卒中で亡くなりました。構想中の作品はもっとたくさんあったと思いますので、もう少し長生きしてほしかったと思います。先生は「影のない女」が大好きです。