世界の劇場「ウィーン国立歌劇場」

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(32)】
世界三大歌劇場の1つとして音楽の都ウィーンに君臨する歌劇場です。現在の劇場は1869年に開場していますが、その歴史はウィーンの宮廷の中で花開きました。
はっきりした起源はわかりませんが、マクシミリアン1世(1459-1519)が1498年に命じ宮廷楽団を組織したと伝わっているので、500年以上の歴史があります。また同じころ、宮廷礼拝堂少年聖歌隊も組織されました。現在のウィーン少年合唱団ですね。宮廷楽団は、礼拝堂での宗教行事の伴奏が主な仕事でした。その後宮廷劇場でのオペラ演奏も加わります。
ウィーンの最初のオペラ劇場は、1668年に開場した「コルティーナ劇場」です。コルティーナ劇場は木造であったため、実際に使用されたのは、20年に満たなかった期間でした。
その後1709年に「ケルントナートーア劇場」が、1741年に「ブルク劇場」が建てられました。ケルントナートーアとは、「ケルンテンの門」という意味です。ウィーン市は東方からの侵略に備えて、城壁で囲まれていました。壁にはいくつかのが設置されており、ケルンテン方面(オーストリア南部)へ向かう街道に設けられたのが「ケルンテン門」でした。その門の近くの劇場なので、「ケルンテンの門劇場」と名付けられました。「ブルク」は城です。宮廷のすぐ近くにありました。「ブルク劇場」では、モーツァルトの「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」などが初演されました。「ケルントナートーア劇場」では、ベートーヴェンの「フィデリオ」の現在使用されているバージョンや「第9交響曲」などが初演されています。
19世紀になり、約2.88 km²の城壁内ではあまりに手狭になったため、城壁の撤去をはじめとするウィーン市の大改造が始まります。城壁のあった場所に「リンク通り」と呼ばれる幅広い環状道路が建設され、それに伴い「ウィーン宮廷歌劇場」も「リンク通り」沿い建設され、1869年「ドン・ジョヴァンニ」こけら落としされました。「ブルク劇場」もリンク通り沿いに移り、現在では演劇専門の劇場として、ドイツ語圏随一の規模と格式を誇っています。「ケルントナートーア劇場」はその役割を終え、1870年に惜しまれつつ取り壊されました。
1918年帝政が廃止されたのに伴い、「ウィーン国立歌劇場」と名を変えます。第2次世界大戦中、不幸にも駅と間違えられて空爆されます。戦後、他の劇場で公演を続けながら劇場再建に取り組み、オーストリアが連合国からの占領を解かれた1955年11月、再び「リンク通り」沿いの劇場で公演が再開されました。
先生が一番多く訪れた海外の歌劇場は、このウィーン国立歌劇場です。1991年のモーツァルト没後200年というメモリアルな年に、地元のレコード屋さんの企画で訪れました。そこで最初に観たオペラはモーツァルトの「イドメネオ」です。モーツァルト24歳の時の作品で、本格的なオペラ・セリアです。
ウィーン国立歌劇場は、典型的な馬蹄形をした歌劇場で、(日本風に言うならば)2階から4階はボックス席になっています。ボックスは3列になっていて、1つのボックスに6・7人が座ります。以前は、ボックスを家で所有し、代々受け継いでいったといわれています。今では、どこの席でもインターネットでポチッと買うことができます。2階の正面はロイヤルボックスで、かつては皇帝陛下のご家族が鎮座するお席です。また、専用の待合室もあります。その真下に、立見席があります。多くの歌劇場の立見席は、最上階にあります。ウィーン国立歌劇場の最上階にも立見席はありますが、人気の立見席は、このロイヤルボックスの真下の立見席です。先生も、この立見席の最前列で観たことがあります。歌手の目線とほぼ同じ位置の立見席、なんとも贅沢です。
座席表(座席:1709席、立ち見席:567席)
ウィーン国立歌劇場座席表
車が走っているのが、「リング通り」です。屋上にある2つの騎馬像の間にあるものは、子どものためのオペラ劇場で、なかなか質の高いものを上演しています。「子どもオペラ」のチケット入手は至難の業!
ウィーン国立歌劇場写真
ウィーン国立歌劇場は、ほとんど毎日公演があります。同じ演目を3日程の間隔を空けて、4~6回くらい繰り返します。そのため、観光などで訪れても夏休み以外は必ず何か鑑賞できます。この劇場のうたい文句は「60の演目を年間350回上演する」とのこと。そのため、舞台装置も出入りが激しいです。郊外に大きな舞台装置保存庫があり、大型のトラックに載せて運んできます。この写真は、ウィーン国立歌劇場の裏側にあたります。搬出入のトラックが見えますね。
ウィーン国立歌劇場写真2
休憩中などでウィーン国立歌劇場の中を散策していると、どう見ても観客ではない制服姿の紳士とすれ違うことがあります。彼は常駐している消防士です。かつて劇場で悲劇的な火災があり、たくさんの被害者を出したことがありました。そのためいろいろな防災対策が定められました。その1つが、消防士の常駐でした。
その消防士についてこんな話があります。ウィーンをはじめ世界中で活躍したメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒ(1928-2021)。ベルリン生まれでしたが、40年近くウィーン国立歌劇場のメンバーであり続けました。彼女の話によると、ウィーン国立歌劇場のオーディションを受けに行ったあと、たまたま出会った消防士に「君、合格するよ」と言われたことを。こんな街は世界中探してもないということも。彼女は無事合格しました。常駐している消防士ならではの肥えた耳のなせる業なのでしょうね。

豆知識「こけら落とし」とは?

「こけら」とは、魚の小さな「うろこ」のことではなくて、材木を削るときに出る木片のことを指します。劇場を新築したり改築したりする最後の工程で、屋根の削りくずを落とすことを「こけら落とし」というそうです。漢字では「杮」と書きます。果物の「柿」に似ていますが、微妙に違います。
かきとこけらの違い
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