ムソルグスキー作曲「ボリス・ゴドゥノフ」 Борис Годунов vol.1

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(26)】
初演:1874年2月8日(ユリウス暦1月27日)ペテルスブルク マリインスキー劇場

主な登場人物

登場人物一覧

あらすじ

1598年~1605年 ロシアとポーランド
プロローグ 第1場 モスクワに近いノヴォデヴィチ修道院の裏庭(1)
先帝崩御で途絶えた皇帝の血筋。その後継者として、先帝の摂政だったボリスの名が挙がる。修道院内にいるボリスに向かい「皇帝になってほしい」と叫ぶよう、警官が集まった民衆に命じる。ボリスには、皇帝になる意思がないことが、民衆に伝えられる。
プロローグ 第2場 モスクワ クレムリンの中の広場(2)
シュイスキー公が現れ、ボリスが皇帝になることを承認したと告げる。民衆の万歳の声の中、ボリスの戴冠。ボリスは権力者としての苦悩を「わが魂は苦しむ」で歌う。
第1幕 第1場 クレムリン チュードフ修道院の僧坊(3)
ボリス戴冠から五年。修道院でロシアの年代記を書いてきた老僧ピーメンは、「もう1つの物語で我が年代記は終わる」を歌い、修道僧グレゴリーに、ボリスが暗殺したとされる先帝の息子ドミトリーが生きていたら、グレゴリーと同い年と告げる。野心家のグレゴリーは、ボリス打倒を企てる。
第1幕 第2場 リトアニア国境付近の旅籠(4)
破戒僧たちが飲んだくれている。その中にドミトリーの偽名を使うグレゴリーもいる。そこに数人の役人が、逃亡したグレゴリーを探しにやってくる。みな字が読めず手配書の内容がわからない。グレゴリーはとっさに他の僧の特徴を読み上げるが、その嘘がばれ、捕まりそうになるが、やっとのことで窓から逃げる。
第2幕 クレムリンのボリスの部屋(5)
ボリスは息子フョードルに地図を見せ「この広いロシアがやがてお前のものになる」ので、よく学ぶよう語る。そしてアリア「私は最高の権力を手に入れた」を歌うが、良心の呵責にさいなまれ、神の名を呼ぶ。そこにシェイスキー公が現れ、死んだはずのドミトリー皇子を名乗る男が、ポーランドの後押しでリトアニアの国境に迫っていると知らせる。愕然とするボリスは皆を下がらせ、胸をかきむしりながら死んだ子どもの幻影におびえ狂乱し、最後には跪いて神に許しを乞う。
第3幕 第1場 ポーランド サンドミール城内のマリーナの部屋(6)
マリーナは偽のドミトリーと婚約している。彼女はアリア「なんと悩ましく」を歌い、ロシアに行って皇后になることを夢見る。彼女は高僧ランゴーニから、愛の力で偽のドミトリーをカトリックに改宗させるよう要請される。
第3幕 第2場 サンドミール城内の庭園(7)
偽のドミトリーはマリーナが現れるのを待っている。ランゴーニが現れ、彼に改宗を迫る。マリーナとのことを思い、彼は改宗に応じる。マリーナが現れ、皇帝になることを夢見る2人の二重唱となる。
第4幕 第1場 赤の広場(8)
飢えに苦しむ農民たちの噂話は、偽のドミトリーの進軍と、ボリス軍の背走ばかり。白痴が現れ「月が出る、子猫が泣いている」と歌っていると、子どもたちにいじめられ、持っていた硬貨を奪われてしまう。ボリスが現れると民衆は彼にパンを要求する。ボリスは白痴に目を止め、泣いているわけを問う。白痴は「硬貨を奪った子どもを殺せと命じてくれ、お前が幼い皇子を斬ったように」という。シュイスキー公は白痴を捕まえるよう命じるが、ボリスは「私のために祈ってくれ」と言う。白痴は「ヘロデ王のためには祈れない」と歌う。
第4幕 第2場 クレムリン内の大広間(9)
貴族達が会議を開いていると、シュイスキー公がボリスは錯乱状態と告げる。ボリスは錯乱状態で現れるが、シュイスキー公に一旦正気に戻されたボリスは、ピーメンと対面する。ピーメンの話の中でドミトリーの話題に及ぶとボリスは再び錯乱し、フョードルを呼び、皆を下がらせる。息子に「さらば、私はもう死ぬ」を歌い自分の死後のことを託す。貴族たちにフョードルを指し、「次の皇帝だ」と言い残し死ぬ。
第4幕 第3場 クロームィ近くの森の中(10)
ドミトリーになりすましたグレゴリーは、自分こそロシアの皇帝であると宣言し、モスクワへ出発していく。白痴の「暗闇が来る、泣け、ロシアの民よ」とつぶやく歌で幕となる。

豆知識「様々な上演パターン」

「ボリス・ゴドゥノフ」は1874年初演と書きましたが、それに至るまで、様々な紆余曲折がありました。モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)は、プーシキンの戯曲を基に自ら台本を書き、1869年にこの作品を完成させ、初演してもらうよう楽譜を歌劇場の上演委員会に提出します。この時提出された楽譜(1869年版と呼ばれます)にはサンドミール城の場面がなく、「ボリスの死」で終わっていました。
「ボリス・ゴドゥノフ」場面と演奏
つまり上記の(1)~(5)、(8)、(9)しかありませんでした。結果として委員会は上演拒否の決定を下します。理由はいろいろあったようで、女っ気がない(マリーナは登場せず)、愛を歌うテノールがいない、華やかなバレエの場面がない等々。友人たちの勧めもあり、また自信作だったこともあり、彼は改訂作業に励み、女声の出番を創作しました。結果として(1)~(7)、(9)(10)でまとめられました(1874年版と呼ばれます)。初演は、完全な全曲演奏ではなかったようですが、おおむね好評を得たようです。しかし、ムソルグスキーの死後、上演は稀になってしまいました。
ムソルグスキーは、職業作曲家ではなかった(公務員だったようです)ので、オーケストレーションがあまり洗練されていなかったといわれています。再び光を浴びるようになるには、リムスキー=コルサコフやイッポリトフ=イヴァノフなどが手を入れた結果でした。「ボリス・ゴドゥノフ」は、リムスキー=コルサコフの改編により、ロシア以外でも知られるところとなり、彼の行った効果は大きかったと思います。しかし、劇場効果を狙った改ざんはその後批判を集めるところとなり、パーヴェル・ラーム、ショスタコーヴィチ、デイヴィッド・ロイド=ジョーンズなどにより、ムソルグスキーのオリジナルを尊重する動きが生まれました。現在では、どの版を使用するか、プログラムなどに載せられることが多くなりました。
Modest Musorgskiy, 1870
  Self-scanned, Public domain, via Wikimedia Commons
モデスト・ムソルグスキー
(1839-1881)
次回、実在の「ボリス・ゴドゥノフ」の話や、自選役・CD・上演などのお送りします。