ムソルグスキー作曲「ボリス・ゴドゥノフ」 Борис Годунов vol.2

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(26)】

実在のボリス・ゴドゥノフ

ボリス・ゴドゥノフ(1551年頃-1605[在位:1598-1605])は、ロシアの貴族でした。彼の君主イヴァン4世(1530-1584[在位:1547-1574/1576-1584])は、マリヤ・ナガヤとの間にドミトリー(1582-1591)、アナスタシア・ロマノヴナとの間にイヴァン(1554-1581)とフョードル(1554-1598)という後継者がいました(イヴァンはイヴァン4世が撲殺しています)。ボリスの妹イリナがフョードルに嫁いだことから、彼は有力貴族にのし上がります。

Boris Godunov by anonim (17th c., GIM)
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Public domain, via Wikimedia Commons

ボリス・ゴドゥノフ
フョードルは、イヴァン4世が1584年に亡くなると、フョードル1世(在位:1584-1598)として即位しますが、生まれつき病弱で知的障害のあった彼には、ボリスやシュイスキー公(1552-1612)をはじめ、有力な貴族が摂政として補佐することになります。ドミトリーは不慮の事故で亡くなり、フョードル1世は嫡子なく亡くなります。ボリスは、フョードル1世の義兄ということで、ツァーリに最も近い人物ですが、すんなり玉座につくとまわりの貴族の反発を買うことを警戒し、民衆に推されて即位したという形式を踏みました。ここがオペラの出発点です。
ボリスの統治は困難を極めます。南米の火山噴火による世界的な異常気象に見舞われ、大凶作となり、酷い飢饉となりました。人心は離れ、ボリスの正統性を疑う声が高まります。
ここで、ドミトリーの登場です。ドミトリーはナイフを持って遊んでいたとき、てんかんの発作が出てのどを傷つけ亡くなったとされていましたが、実は生きているというのです。このような事実はなく、偽ドミトリーは、シュイスキー公たちが周到に計画を練って仕組んだものとされています。
ボリスの死後、息子のフョードルがフョードル2世として即位しますが、偽ドミトリーの進軍により2ヶ月足らずで殺害されてしまいます。まんまとツァーリの座を手に入れた偽ドミトリー改めドミトリー2世ですが、こちらも1年足らずで殺害されています。その後即位したのが、シュイスキー公改めヴァシーリー4世(在位:1606-1610)。さんざん偽ドミトリーで煽っておきながら使い捨てにした感じですね。ヴァシーリー4世も次々現れる偽〇〇に苦労させられたり、貴族の反乱にあったりして順風とはいかず、殺されはしませんでしたが退位し、ポーランドで非業の死を遂げます。最終的にツァーリの座を射止めたのは、イヴァン4世の妃アナスタシア・ロマノヴナの兄弟の子孫、ミハイル・ロマノフ(1596-1645[在位:1613-1645)でした。このロマノフ家がロシア最後のツァーリ、ニコライ2世へと繋がります。
動乱時代からロマノフ朝の系図
動乱時代からロマノフ朝の系図

自選役

このオペラからは、ボリス・ゴドゥノフが、静岡国際オペラコンクール第2次予選自選役リストに含まれています。
 

「ボリス・ゴドゥノフ」の今後の上演

新国立劇場での上演
2022年11月15日、17日、20日、23日、26日(東京都渋谷区)
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/borisgodunov/
 
この上演は、1869年の原典版と1872年の改訂版とを折衷した版による上演のようです。「新国立劇場 開場25周年記念公演」として、大野和士芸術監督の気合の入った演奏となることは間違いありません。乞うご期待!

参考CD

参考CD(1)
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ボリス:ニコライ・ギャウロフ 他(1970年録音)
カラヤンは、リムスキー=コルサコフ編曲の1874年版を使い、(8)「赤の広場」の場面のみイッポリトフ=イヴァノフ版を使用しています。スタイリッシュなカラヤンのゴージャスな音創りで、ロシアものを聴いているというよりは、フランスもののような雰囲気が無きにしもあらず。変幻自在のウィーンフィルのサウンドと、ロシア人を中心にウィーンで活躍していた名歌手を揃えた、なんとも贅沢なCDです。髭もじゃでうつろな瞳のムソルグスキーの肖像画が有名ですが、若いころは相当スタイリッシュだったとか。そんな若いムソルグスキーのような音色に包まれています。
カラヤンCD
参考CD(2)
指揮:クラウディオ・アバド
ボリス:アナトリー・コルチェガ 他(1993年録音)
アバドは、デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ校訂によるムソルグスキーのオリジナルで(1)~(10)まで演奏しています。ただし、1869年版と1874年版とで、重複している部分があるので、そこはうまく処理されていて、同じ部分が二度出てくることを防いでいます。アバドはムソルグスキーを偏愛しており、このCDの解説書では、彼のことを「パラノイア(偏執病)」とまで言っています。というのは、この録音の他にもオペラや管弦楽曲をムソルグスキーのオリジナルの形で録音しています。ロシア人だけではなく、国際的に名の知れている実力ある歌手をそこかしこに配置して、万全の態勢で録音されています。彼は、ロンドン、ザルツブルク、ウィーンなどでもこのオペラを演奏してきました。そして、この録音の翌年1994年のウィーン国立歌劇場の来日公演でも「ボリス・ゴドゥノフ」を演奏しました。先生は幸運にもこの演奏を聴くことができましたが、緻密なムソルグスキーの音楽の一音一音を大切に演奏するアバドに、ただただ圧倒された一夜でした。
アバドCD
参考CD(3)
指 揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
ボリス:ニコライ・プチーリン(1869年版)、
    ウラジーミル・ヴァネーエフ(1874年版) (1997年録音)
サンクト・ペテルブルクの名門マリインスキー歌劇場を率いる指揮者ゲルギエフは、かなり積極的な活動を繰り広げています。最近は、かの国の大統領との仲が災いして、要職から干された感がありますが…。
このCDは5枚組で、1869年版と1874年版を比較しながら聴くことができます。マリインスキー歌劇場は、ゲルギエフに率いられて1993年から9回(オーケストラの公演は省きます)の来日公演を行っています。ロシアものだけではなく、ヴェルディの「ドン・カルロ」や「オテロ」などのイタリアもの、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」や「ニーベルングの指環」、R.シュトラウスの「影のない女」などのドイツものなどでも日本の聴衆を魅了しました。この「ボリス・ゴドゥノフ」は自家薬籠中の物だけあって、手堅くまとめています。自身の集めた若い有能な歌手を中心に組んだ、学術的にも価値のあるCDです。
ゲルギエフCD