プッチーニ作曲「つばめ」La Rondine

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(28)】
古今東西、いろいろな名前のオペラがあります。動物の名前のオペラもあり、「鳥」の名前のオペラもあります。「鳥たち」というオペラもありますが、今日は、「つばめ」というオペラをご紹介します。
つばめのイラスト
ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は、オペラの完成後の常として、次の題材探しに苦慮していました。
「蝶々夫人」の後に書かれた「西部の娘」も異国趣味のオペラで、アメリカが舞台でした。ニューヨークで初演されています。1913年に「西部の娘」がウィーンで初上演される際に、当時ウィーンにあったカール劇場の支配人ジークムント・アイベンシュッツ(1856-1922)とハインリヒ・ベルテ(1858-1924)から、オペレッタの依頼を受けます。楽譜買取料は20万クローネという高額な条件で。ある文献で、1クローネは4,000円とありましたので、単純比較はできませんが、おおよそ8億円!オペレッタなので、十数曲の楽曲の合間にセリフが入る形式をとります。
当初プッチーニは、オペレッタ作曲に消極的でした。しかし、大人の事情でこの件が前に進むことになります。これまでプッチーニのオペラは、すべてリコルディ社から出版されていました。この辺りの事情は、下のブログ記事をお読みくださいね。
プッチ―ニ作曲「エドガール」(オペラコンクールブログ「トリッチ・トラッチ」)
www.suac.ac.jp/opera/blog/2022/04/00111/
ジューリオ・リコルディ(1840–1912)が社長のうちはよかったのですが、彼が亡くなり、社長を継いだ息子のティート・リコルディ2世(1865-1933)は、父親が築き上げた作曲家との信頼関係が自分にもあると勝手に思い込み、かなりのやりたい放題だったと言います。当然プッチーニとも折り合いが悪く、プッチーニは相当頭に来ていたようです。「豚のようなやつ」と呼んでいたとか。リコルディ社にとって「ドル箱」のプッチーニでしたが、ティートは、自分の贔屓の作曲家リッカルド・ザンドナーイ(1883-1944)に力を入れようと方向転換し、プッチーニを邪魔者扱いするようになります。そんな態度に気付いたプッチーニは、ウィーンの話をリコルディ社には報告せずに進めることになります。
ウィーンからは台本が送られてきましたが、しかし最初の二作品は全く受け入れられるものではなかったようです。そこで、フランツ・レハール(1870-1948)やレオ・ファル(1873-1925)のオペレッタの台本作家として知られるアルフレート・マリア・ヴィルナー(1859-1929)と、ハインツ・ライヒェルト(1877-1940)が共作で台本を制作し、三作目にようやく許可を出しました。プッチーニはドイツ語があまり得意でなかったので、ジュゼッペ・アダーミ(1878-1946)がイタリア語に訳し、それに作曲し、またドイツ語に訳したものをカール劇場で初演するというとんでもない作業が必要でした。アダーミは、その後「外套」「トゥーランドット」の台本制作に関わることになります。
プッチーニは常にオペラの台本に口を出し、自分の思い通りに書きかえさせていました。「つばめ」の台本も、作曲開始早々不満の種となります。アダーミはそんな状況を察知して、オペレッタ形式で書かれたドイツ語の台本を、オペラとして作曲できるように上手に書き換えてイタリア語に訳し、プッチーニを作曲する気にさせたとか。このことはウィーン側にも伝えられ、「オペレッタではないけれど、プッチーニの新作が初演できるなら」という思惑から、「オペラを作曲する」許可を取ることに成功しました。
1914年から作曲が開始され、紆余曲折を経て作品は完成しますが、世の中は大きく変わってしまいました。ヨーロッパは第一次世界大戦に突入。イタリアとオーストリアは敵対関係となってしまいます。一時は、「敵国のために作品を書いているとは非国民」との誹謗中傷を受ける羽目になり、戦傷兵基金に寄付したり慈善事業の歌曲集に曲を提供したり、愛国的なPRをしています。
ティートは、自分の与り知らないところで、なおかつ敵国のために書いている「できそこないのレハール」みたいなオペラを出版する気はさらさらありませんでした。また、ウィーンでの初演も戦争のため見込みが薄くなってしまいます。そこでプッチーニは、ライバル会社のソンゾーニョ社へとこの作品を持ち込みます。ソンゾーニョ社はウィーンと交渉。楽譜等の権利をソンゾーニョ社が買い取り、戦時中ということもあり、モンテ・カルロで初演されることが決まり、楽譜もソンゾーニョ社から出版されました。プッチーニとソンゾーニョ社との関係が続くかと思われましたが、ティートが1919年にリコルディ社から手を引くことになり、リコルディ社とプッチーニとの関係も修復。そんなこともあり、プッチーニのオペラでこの作品だけソンゾーニョ社から出版されています。
初演は1917年3月27日に、モンテ・カルロカジノ劇場で行われました。ティート・スキーパ(1889-1965)の出演を得て、大成功を収めます。また、イタリアでの初演は、同年ボローニャテアトロ・コムナーレ6月5日に行われ、トティ・ダル・モンテ(1893-1975)の出演もあり、こちらも大成功だったと言われています。その後の上演、特にミラノでの公演は、指揮者の無理解もあり、はかばかしい結果ではありませんでした。プッチーニは改作します。ウィーンの初演のために改定した版(第二稿)は、1920年にフォルクスオーパーで上演されましたが失敗に終わります。プッチーニは更なる改定をしますが(第三稿)、この版は演奏されることなく、第二次世界大戦で失われてしまいます。結局、現在上演されるのは、モンテ・カルロで初演されたものが使われます。ソンゾーニョ社から発行されているヴォーカルスコアには、第二稿で追加されたルッジェーロアリア「パリ!」と、第3幕の異稿が追加として納められています。
日本初演は1998年9月19日に、市川オペラ振興会により行われています。このオペラの舞台上演を待ち望んでいた先生は、この上演でようやく鑑賞することができました。
市川オペラのプログラム

「つばめ」の今後の上演

2023年2月21日・22日に、「プッチーニのプロフィール」という団体主催で、戸塚区民文化センターさくらプラザホール(戸塚駅西口)にて公演があります。21日の公演には、第7回コンクールでファイナリストとなられた大音絵莉さんが出演されます。
大音絵莉さん
大音絵莉さん
詳しくは団体フェイスブックをご参照ください。
「プッチーニのプロフィール」Facebook
https://www.facebook.com/puccinis.profile/
3月18日には、藤原歌劇団オペラ歌手育成部 第42期研究生 新人育成オペラアンサンブル公演があります。会場は、昭和音楽大学北校舎5F スタジオ・リリエ(新百合ヶ丘駅北)。こちらはコンクール審査委員を務めます三浦安浩先生の演出です。凝ったものになる予想。こちらは配信も予定されています。詳しくは下記HPをご参照ください。
オペラ歌手育成部 第42期生 新人育成オペラアンサンブルコンサート
(藤原歌劇団・日本オペラ協会ウェブサイト)
https://www.jof.or.jp/performance/nrml/2303_training.html

 

「つばめ(La Rondine)」

あらすじ
第二帝政時代のパリとリヴィエラ
第1幕 パリ マグダの家のサロン
マグダは、裕福な銀行家ランバルドの愛人として暮らしている。彼女のサロンにランバルドやマグダの友人たちが集まり、パーティーを行っている。詩人のプルニエは、自作のヒロインであるドレッタが、金ではなく愛を選んだことについてピアノを弾きながら歌うが、途中で詰まってしまう。マグダがそれを引き継ぎ、アリア「ドレッタの美しい夢」で、学生に恋したドレッタに託して自分の愛への憧れを歌う。皆彼女を賛美し、ランバルドは彼女に真珠の首飾りを贈る。
マグダの小間使いのリゼットが来客を告げる。それはランバルドの古い友人の息子だった。マグダに許しを得て、彼を通すよう伝える。マグダは友達に、かつてブリエの店で恋に落ちた経験を、アリア「甘く清らかなひととき」で話す。ランバルドが来客のルッジェーロを連れて入ってくる。その時プルニエは、マグダの手相を見て、「つばめのように海を渡って、陽光輝く恋をする。しかし…」と後を濁す。ルッジェーロがパリの夜を過ごすには、どこがいいか皆で議論する。プルニエとリゼットは言い争うが、最後に「ブリエの店」という結果に皆同意する。
客たちが出かけた後、マグダは純粋そうなルッジェーロに恋心を抱き、着替えのため別室へ去る。リゼットが片づけをしていると、プルニエが戻ってきて、リゼットと戯れ彼女を口説く。プルニエはリゼットにマグダの服を着せて出かけていく。グリゼットの衣装を着たマグダが現れ、「これなら誰にもわからないわ」とつぶやいて、ブリエの店へ出かけていく。
*グリゼット:お針子を指す言葉ですが、転じて遊び女や若い娼婦を指すこともあります。
第2幕 ブリエの店 第1幕と同じ日の夜
店には様々な人々が集まり、熱気に溢れている。初めての場所に戸惑い、ぽつねんとしているルッジェーロに、グリゼットたちが話しかけるが、相手をすることもできず、グリゼットたちは去っていく。そこに、グリゼットの格好をしたマグダが現れる。新顔登場に青年たちは色めき立つが、相手にせず一人座っているルッジェーロのテーブルに座る。ルッジェーロは彼女がマグダとは気付かず、おずおずと会話を始める。ルッジェーロは、彼女に他のグリゼットとは違う様子に心を開き始め、二人は一緒に踊る。マグダは、初恋を思い出し、その時と同じようにビールで乾杯する。二人は恋に落ち、マグダは「ポーレット」と名乗る。踊りの輪の中にリゼットとプルニエがいて、リゼットはマグダに気付くが、プルニエは人違いだと言う。
ビールで乾杯のイラスト
突然ランバルドが店へ現れ、それに気付いたプルニエは、ルッジェーロにリゼットを押し付け、その場から立ち去らせる。このような場所にいる事情を説明するよう求めるランバルド。マグダは、恋に落ちてしまったので、もうあなたの場所には戻らないと告げる。ランバルドは、後悔しないようにと言い残し、その場を去る。ルッジェーロが戻ってきて、マグダと手を取りあって店を出ていく。
第3幕 リヴィエラにあるルッジェーロとマグダの別荘 第2幕から数ヶ月あと。
幸福に過ごしている二人だが、ひそかにルッジェーロは、両親に送金と結婚の了承を求めていた。それを知ったマグダは、純粋な彼の気持ちを考えると、自分の過去を知らせるべきか悩む。マグダの小間使いを辞めて、歌手になってバラ色の生活を夢見ていたリゼットだが、舞台でヤジり倒されて夢破れ、プルニエとしても教養もたしなみもない小間使いとの恋愛に嫌気がさしていた。二人がマグダのもとに現れ、リゼットは再び小間使いとして雇ってほしい旨を伝え、プルニエはランバルドが彼女のことを待っていると伝え立ち去る。
ルッジェーロは、彼の母親からの結婚承諾の手紙を持って現れる。「あなたの選んだ相手なら、立派な女性だろうから嬉しい」との内容に愕然としたマグダは、自分の過去を告白し、あなたの妻にふさわしくないと告げて、嘆くルッジェーロを残しパリに戻る。

まめちしき

このオペラの第1幕で詩人のプルニエが、ある意味理想の女性の名前を四人あげる場面があるのですが、最後の一人が「サロメ」なのです。そこに出てくる音型が、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の作曲したオペラ「サロメ」象徴的な音型と同じなのです。「サロメ」の初演は1905年ドレスデンゼンパーオーパーにて、イタリア初演は、1906年トリノレージョ劇場で行われました。プッチーニもこの刺激的なオペラをどこかで観ていたのでしょうね。とてもおしゃれな音遊びで、この場面を聴くと先生も顔がほころびます。
「サロメ」の象徴的な音型

参考CD

大好きなオペラなので、3つあげました。
参考CD(1)
マグダ:アンナ・モッフォ
ルッジェーロ:ダニエーレ・バリオーニ
指揮:フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ 他(1966年録音)
アンナ・モッフォ(1932?-2006)は、先生の理想のマグダです。ダニエーレ・バリオーニ(1930-2022)も、モッフォには打って付けのルッジェーロ。何よりもう一つのカップル、リゼットとプルニエが理想的。グラツィエラ・シュッティ(1927-2001)は、蓮っ葉な役にもってこい。ピエロ・デ・パルマ(1925-2013)は、もう何度もご紹介していますね。先生一押しの性格的テノールです。ここでは珍しく、二枚目を演じています。オペラの大家フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(1911-1996)の安定した指揮で、録音は古いですが、一押しのCDです。
モリナーリ=プラデッリCD
参考CD(2)
マグダ:キリ・テ・カナワ
ルッジェーロ:プラシド・ドミンゴ
指揮:ロリン・マゼール 他(1981年録音)
大変立派な録音かと思います。ドミンゴテ・カナワも、このオペラの主役には少し重い声かもしれません。また、ランバルドをヌッチに歌わせるのは、本当に贅沢。当時、対訳のついているCDはこれしかなかったので、そんなことを考える余裕もなく、この作品に引き込まれたのがこのCDからでした。大学を卒業するときに、同級生とイタリアへ卒業旅行に行こうという計画を立て、せっかくだから本場のオペラを観ようと日程を調べると、「つばめ」の上演がありました。そのために聴き込んでいたのですが、旅行日程が変更になり、結局他のオペラを観たので、初「つばめ」は、前記の市川ということになったのです。なんとなくオペラの分野では分が悪いマゼールですが、この録音では変な自己満足的表現がなく、安心して聴くことができます。
ロリン・マゼールCD
参考CD(3)
マグダ:アンジェラ・ゲオルギュー
ルッジェーロ:ロベルト・アラーニャ
指揮:アントニオ・パッパーノ 他(1996年録音)
理想的な録音です。主役の二人が重くなりすぎず、良い雰囲気を出しています。マッテウッツィのプルニエとムーラのリゼットも良い感じ。全編を通して聴かれるワルツも自然な流れです。特に第2幕のブリエの華やかな場面は、その情景が目に浮かぶようです。このCDは、1920年のウィーン初演のために改定した版(第二稿)に入れられた第1幕のルッジェーロアリア「パリ!」が歌われている以外は、初演版(第一稿)による録音です。
アントニオ・パッパーノCD