世界の劇場「バイエルン州立歌劇場」

【ふじやまのぼる先生のオペラ講座(41)】
「バイエルン」というと、皆さんは何を思い浮かべますか?サッカーチームのバイエルン・ミュンヘンでしょうか、それともソーセージでしょうか?先生はビールが大好きです。
バイエルン州
バイエルンはドイツに16ある州の1つです。面積は第1位、人口は第2位。古くは、バイエルン王国として存在し、今でもそのオリジナリティーを大事にする州民性が色濃く残っています。ドイツ語を話してはいますが、言語的にオーストリアに近く、ベルリンよりもウィーンに対抗心を燃やすともいわれています。
ミュンヘンで初めてオペラが上演されたのは1653年のことで、しばらくして歌劇場が建設されました。その後、宮廷内
にフランソワ・ド・キュヴィリエ(1695-1768)の設計による劇場が造られ、1781年にはモーツァルトの「イドメネオ」が初演されています。この劇場は、現在「キュヴィリエ劇場」と呼ばれています。
しかし、この劇場はいかにも手狭になったため、コンペが行われ、1818年にカール・フォン・フィッシャー(1782-1820)の設計による新しい劇場がオープンします。これが現在のナツィオナル劇場と呼ばれる歌劇場の原型となったものです。フィッシャーを記念して、場内には彼の胸像が飾られています。
1823年1月に出火。冬季のため凍結消火用の水が確保できなかったため、時の国王マクシミリアン1世(1756-1825[バイエルン王:1806-1825])が「ビールで消せ」と言ったというミュンヘンらしい逸話が伝わっています。市民の失望は大きく、再建の声が強く上がったため、再建のための資金集めが開始されました。その資金捻出法もミュンヘンらしく、ミュンヘン市民の大好きなビールに、劇場再建税をかけたのです。そのかいあってかわずか二年後には再開されます。
しかし第二次世界大戦中の1943年に空襲で破壊された後は、戦争による疲弊のためなかなか再建されず、プリンツレーゲンテン劇場が仮住まいの歌劇場として使われ始めます。キュヴィリエ劇場は芸術的な価値からか、戦時中解体され疎開していたので、1958年に再開していました。再建間もない1959年12月の映像が残っています。モノクロなのが残念ですが、ロッシーニの「セビリャの理髪師」の映像のそこここに、美しいキュヴィリエ劇場の内部が映し出されています。指揮は当時の音楽総監督のヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)。フリッツ・ヴンダーリヒ(1930-1966)、ヘルマン・プライ(1929-1998)、ハンス・ホッター(1909-2003)など、往年の名歌手の名唱を、当時の習慣であったドイツ語歌唱で聴くこともできます。
DVD画像
ナツィオナル劇場の市民による強い再建希望により、空襲から20年後の1963年11月に再オープンを飾っています。オープン記念に、リヒャルト・シュトラウスの「影のない女」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ヴェルナー・エック(1901-1983)の新作オペラ「サン・ドミンゴの婚約」など、華々しいプログラムが組まれました。この三つのオペラは、当時の録音が存在します。
リヒャルト・シュトラウス「影のない女」(1963年11月21日録音)
CD1
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1963年11月23日録音)
CD2
エック「サン・ドミンゴの婚約」(作曲者の自作自演 1963年11月27日録音)
CD3
音楽総監督だったカイルベルトにはこんな話が伝わっています。1968年7月20日、彼がバイエルン州立歌劇場でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を指揮中に心臓発作で倒れ、帰らぬ人となりました。生前カイルベルトは、「モットルのように『トリスタンとイゾルデ』を指揮しながら死にたい」と言っていたとか。フェリックス・モットル(1856-1911)も指揮者で、バイエルン州立歌劇場(当時は宮廷歌劇場)の音楽総監督を務めていましたが、1911年6月21日に「トリスタンとイゾルデ」を指揮している最中に心臓発作に倒れ、7月2日に亡くなっています。オペラ指揮中に亡くなった指揮者は他にもいて、ジュゼッペ・パターネ(1932-1989)は「セビリャの理髪師」ジュゼッペ・シノーポリ(1946-2001)は「アイーダ」シュテファン・ゾルテス(1949-2022)は「無口な女」を指揮中に倒れ亡くなっています。パターネとゾルテスはある意味、指揮者冥利に尽きる亡くなり方かと思います。
話がそれました。戦後、歌劇場の再建では、近代的建物への改築の声もあったようですが、1818年にオープンした当時の形で復元されました。六層構造になっていて、どこからでも観やすく良い音響のオペラハウスです。客席は2101席。最上階には、舞台が全く見えない席があり、その席の一部には、楽譜を見ながら音だけ聴く人用に、灯りが設置してある「楽譜席(Partiturplatz)」があります。先生も、かつてこの楽譜席でヴェルディの「椿姫」を観ました。値段は9.5ユーロ。当時1,000円もしなかった記憶があります。それでも、会場までの「交通費の補助」は付いていました。現在の価格は、上演演目にもよって上下するのですが、2023年2月16日本日の公演は、プッチーニの「マノンレスコー」なのですが、楽譜席は11ユーロです。ちなみに最高価格の席は163ユーロ。
「交通費の補助」については、こちらをご覧くださいね。
おまけつきチケット(オペラコンクールブログ「トリッチ・トラッチ」)
https://www.suac.ac.jp/opera/blog/2022/09/00160/
チケット
プログラム
ミュンヘンには大切にしている三人の作曲家がいます。モーツァルトワーグナーリヒャルト・シュトラウスです。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ラインの黄金」「ワルキューレ」は、ミュンヘンで初演されていますし、リヒャルト・シュトラウスはミュンヘン生まれ、「平和の日」「カプリッチョ」をミュンヘンで初演しています。
先生が最初にこの歌劇場の来日公演を聴いたのは1992年で、この三人の作曲家による「フィガロの結婚」「さまよえるオランダ人」「影のない女」でした。その時の指揮者は当時の音楽総監督ウォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)で、彼は1988年にリヒャルト・シュトラウスオペラ全曲公演をミュンヘンで行いました。その後ズービン・メータケント・ナガノキリル・ペトレンコといった歴代音楽総監督に率いられて来日公演を行っています。
先生のよく聴くバイエルン州立歌劇場での録音をご紹介。
リヒャルト・シュトラウス「無口な女」サヴァリッシュ指揮(1971年7月14日録音)​
CD4
ワーグナー「ワルキューレ」メータ指揮(2002年7月録音)​
CD5
番外編DVD
ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」カルロス・クライバー指揮(1986年12月収録)​
CD6
歌劇場の前の広場には、建設を指示した当時の国王マクシミリアン1世の像があります。彼の愛称は、マックス=ヨーゼフ。像のある広場は、まさしくマックス=ヨーゼフ広場
Bayerische Staatsoper
これは、ちょうどワーグナーの「ニーベルングの指環」の新演出を出すときだったので、金の輪っかが飾られていました。
ミュンヘンリング