~今月の作曲家~「ジョルダーノ」(2023年8月)

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(20)】

ジョルダーノ

ウンベルト・メノッティ・マリア・ジョルダーノ(Umberto Menotti Maria Giordano)は、1867年8月28日に、南イタリアのフォッジャに生まれました。
Umberto Giordano by Gaetano Esposito (color)
ウンベルト・ジョルダーノ
(1867-1948)

  Gaetano Esposito (1858–1911),
Public domain, via Wikimedia Commons
お父さんは薬剤師で、息子が音楽家になることに猛反対。その反対を押し切り音楽の勉強に励み、13歳からは名門ナポリ音楽院に学びます。実家の没落により極貧の中での勉学は困難を極め、一時音楽院を離れますが、周囲の人たちの援助により、1890年まで音楽院で研鑽に励む事ができました。この頃できた友人が、以前ご紹介したフランチェスコ・チレア(1866-1950)でした。
~今月の作曲家~「チレア」(2022年7月)(オペラコンクール・ブログ「トリッチ・トラッチ」)
https://www.suac.ac.jp/opera/blog/2022/07/00150/
1890年、あの「ソンゾーニョ社」主催のオペラ作曲コンクールが開催され、最初のオペラ「マリーナ」を出品します。最終選考の6作まで残りましたが、結果は6位。この時の第1位は、ピエトロ・マスカーニ(1863-1945)の「カヴァレリア・ルスティカーナ」でした。しかしここでもソンゾーニョ社はジョルダーノの才能に目を付け、第2作の作曲を依頼。「堕落した生活」が生まれます。
「堕落した生活」は、1892年にローマのアルジェンティーナ劇場で初演されますが、人を煽り立てるキワモノ的な内容から、大きな評判をとります。イタリア以外でもベルリンウィーンでも上演されました。しかし、反動として大きな拒否反応も生まれました。ナポリでも上演されましたが、あまりの内容のため「地元の恥」とのレッテルを張られてしまいます。のちに内容をマイルドにした「誓い」というオペラに改作しています。
次の作品は「女王ディアス」という歴史小説的な内容のオペラで、ソンゾーニョの後押しで1894年、ナポリで上演されましたが、完全なる失敗。2回目の幕は上がりませんでした。完全にソンゾーニョ社の社長エドアルド・ソンゾーニョ(1836-1920)を怒らせたジョルダーノは、悲痛な思いでナポリの街をさまよいます。するとそこに先輩作曲家のアルベルト・フランケッティ(1860-1942)に出会います。
フランケッティは、当時相当名の知れたオペラ作曲家でしたが、貴族出身のためか、競争心や功名心にはやることなく、誰に対しても貴族的な優しさで接したと言います。フランケッティは、エドアルドがジョルダーノに怒っていることを知っていました。二人はジョルダーノの家に行き、フランケッティは「女王ディアス」の楽譜をピアノで弾きながら、できの良いところを褒め、「エドアルドに掛け合ってあげよう」と請け合います。その上、今作曲しようとしている、フランス革命期に活躍し、断頭台の露と消えた詩人アンドレ・シェニエ(1762-1794)を題材としたオペラの作曲権を譲るとまで言ってくれたのです。フランケッティの言葉に嘘はなく、エドアルドは再びジョルダーニにチャンスを与えます。そして生まれたのが、名作「アンドレア・シェニエ」でした。このオペラについては、後で詳しく説明しますね。

 ちょっとブレイク 「アルベルト・フランケッティ

今ではすっかり忘れてた存在のフランケッティですが、当時はなかなかの有名作曲家でした。リコルディ社からもソンゾーニョ社からも楽譜を出版していて、音楽界では一目置かれていた存在だったのです。男爵家に生まれ、お母さんはウィーンのロスチャイルド家の出身ということで、物心共に何不自由ない生活を送ります。
フランケッティの作風は、「ジェルマニア(=ゲルマン)」というドイツを舞台にしたオペラを作曲したり、ドレスデンやミュンヘンで学んだりしたということもあり、ヴェリズモとワーグナーとの融合を図ったものとしての側面があります。
先ほど「アンドレア・シェニエ」の作曲権を譲ったとお話ししましたね。もう1つ彼が他の作曲家に譲ったオペラがあるのです。それは「トスカ」でした。こちらは、人助けとか友情とか、そういった美談ではありません。「トスカ」は、後ほどお話しするサルドゥーの戯曲が原作ですが、まずプッチーニが興味を持ち、オペラ化するためにリコルディ社を通してサルドゥーに依頼します。しかし、結果として作曲権はフランケッティのものになってしまいます。リコルディ社は台本をルイージ・イッリカ(1857-1919)に依頼。作曲が開始されたかに見えましたが、リコルディ社は、フランケッティに「あなたは『トスカ』の淫乱で下品、低俗な内容を音楽にするのは向いていないのでは」などといいように言い含め、最終的に作曲権を放棄させられてしまいました。あとの顛末は皆さんのご存知の通りです。同じ作曲権の譲渡でも、こんなにも違います。
彼の良く知られている2つのオペラ(2つともイッリカの台本!)のうち、「クリストフォロ・コロンボ(=クリストファー・コロンブス)」は、コロンブスがアメリカ大陸を発見してから400年を記念して、フランケッティの出身地ジェノヴァ市からの依頼を受けて作曲されました。また、「ジェルマニア」は、ミラノ・スカラ座トスカニーニの指揮により初演されています。初演では、名テノールのエンリコ・カルーソー(1873-1921)がフェデリーコ役を歌い、フェデリーコのアリア「学生諸君、聞き給え」は、カルーソーが最初期に録音した音源として現在も聴くことができます。
フランケッティは81歳という長命でしたが、何かのポストに就いていたのは、1926年から1928年の2年間、フィレンツェの音楽大学だけでした。晩年、ユダヤ人という出自のため、ムッソリーニ政権から上演禁止の措置が取られます。ムッソリーニお気に入りのマスカーニからの嘆願にもかかわらず、禁止措置が解かれることはありませんでした。そして、不遇のうちに亡くなりました。他の作曲家のように名誉墓地に葬られることなく、ユダヤ人墓地への埋葬でした。
最近は、フランケッティのオペラもあちこちで上演が行われており、アリアだけではなく全曲の音源も容易に聴くことができます。
「クリストフォロ・コロンボ」
日本でもよく歌ったレナート・ブルゾンを主役とし、生き生きとした指揮がとても印象に残っているマルチェッロ・ヴィオッティ(1954-2005)の要所を締めたすばらしい演奏で、フランケッティも喜んでいることでしょう。
参考CD1
「ジェルマニア」
ベルリン・ドイツ・オペラのライヴ収録です。カルロ・ヴェントレの歌うフェデリーコが、とても印象的です。藤原歌劇団や新国立劇場でもよく指揮をしていたレナート・パルンボの安定した演奏。映像があると、内容が分かりやすい反面、先入観を持ってしまうきらいがあります。しかし、一見の価値あり!
参考CD2
さて、ジョルダーノに話を戻しましょう。次は、かねてからオペラ化したいと思っていたヴィクトリアン・サルドゥー(1831-1908)原作の「フェドーラ」に取り組みます。演劇「フェドーラ」を見た18歳のジョルダーノは、是非オペラにしたいと思い立ち、サルドゥーに許可を求める手紙を書きます。サルドゥーからは「あなたは何曲オペラを作曲しましたか?」との返事がきます。「まだ1曲も」と答えるジョルダーノに、「また後から考えましょう」との返事がきます。それから10年以上が過ぎました。かつての申し出をサルドゥーは覚えていてくれて、ソンゾーニョ社を通じた正式な申し出により、「フェドーラ」は作曲され、1898年にミラノのリリコ劇場で初演されました。第2幕の名アリア「愛さずにはいられないこの思い」で聴衆は熱狂。大成功のうちに幕はおります。ジョルダーノは長女の名前に「フェドーラ」と名付けました。
その後は、1903年にミラノ・スカラ座で「シベリア」、1915年にメトロポリタン歌劇場でサルドゥー原作の「マダム・サン=ジェーヌ(無遠慮夫人)」が初演されており、割と知られた作品ですが、「アンドレア・シェニエ」を超える作品は生まれませんでした。そして、1948年11月12日にミラノで81歳の生涯を閉じました。彼は、ミラノのチミテロ・モニュメンターレに埋葬されました。この墓地には、以前ご紹介したチレアボーイトも埋葬されているような名誉墓地としての側面もあります。

ジョルダーノのオペラ

アンドレア・シェニエ

フランケッティから作曲権を譲ってもらったジョルダーノは、台本作家イッリカの住むミラノの家の1階の、半ば物置倉庫のようなところに引っ越し、アップライトピアノを借りて作曲に励みました。できた作品をもってソンゾーニョ社を訪ねると、ある音楽顧問に「これは駄作」と決めつけられてしまいます。困ったジョルダーノは、「誰か高名な作曲家に見てもらってから決めてほしい」とソンゾーニョ社を説得し、フィレンツェにいたマスカーニに見てもらうことにしました。作品を見たマスカーニは、ソンゾーニョ社に「上演しなさい」と連絡。無事上演が決まります。1896年3月28日に行われた初演。結果は大成功で、ジョルダーノは一夜にしてオペラ界の寵児となります。マスカーニに宛てた電報には一言こう書かれていました。「預言者よ!」
あらすじ
第1幕 1789年冬のある午後 パリ郊外 コワニー伯爵の居城
大勢の使用人たちが夜会の準備をしている。コワニー家の従僕ジェラールは、貴族のために自分たちが奴隷のように働いていることに憤りを覚え、「年老いた父よ、あなたは60年間仕えてきた」を歌うが、伯爵令嬢のマッダレーナの美しさには言葉を失わざるを得ない。
やがて客たちが登場する。修道院長は、パリでの状況を報告し、王権が弱っていると話すと、皆は不安がる。気分転換に牧歌劇が演じられる。客の中に詩人アンドレア・シェニエがいるので、マッダレーナは即興詩を望むが、シェニエは「詩作は気まぐれな愛のようなもの」と断る。「愛」という言葉にマッダレーナたちは笑い出す。シェニエはアリア「ある日、青空を眺めて」を歌い、あなたは「愛」をご存じないと、愛の尊さを歌う。その姿にマッダレーナは感動し、非礼を詫びて立ち去る。シェニエもその場を去る。
伯爵夫人は、優雅なガヴォットを所望し、音楽が奏でられ人々は踊り始める。そこへ、外から飢えに苦しむ貧民の声が聞こえてくる。ジェラールは扉を開け、貧民たちを中へ入れ、貴族の対応を批判し、従僕としての制服を脱ぎ捨てる。ジェラールの父親が、伯爵夫人に許しを乞い跪く。出ていくように言われたジェラールは、父親とともに出ていく。伯爵夫人はあまりの事に気を失うが、ガヴォットを再開させる。
第2幕 1794年6月 革命下のパリの街角
マッダレーナの侍女をしていたベルシは、シェニエに会うために現れるが、密偵に疑惑を持たれている。シェニエは友人から「この通行証をもってパリを離れろ」と言われるが、今はだめだと応える。シェニエは、「希望」という名の相手から、忠告とも励ましともとれる手紙を受け取ったと告げる。群衆の叫びと共にロベルピエールが現れ、今や彼の第1の部下となったジェラールが続く。ジェラールは密偵に、マッダレーナの行方を捜すよう依頼していた。密偵はベルシが怪しいこと、マッダレーナは近くシェニエのもとに現れるあろうとジェラールに報告する。
夕方になり、ベルシが再び現れ、シェニエに「今夜ある女性があなたのもとに来る」と告げる。シェニエが名を問うと、「希望」と答え去る。友人に罠だと忠告されるが、シェニエは会うことにする。
夜。マッダレーナが現れるが、シェニエは彼女と気付かない。「あなたは『愛』をご存じない」と言われてマッダレーナと気付く。マッダレーナはあの日からシェニエのことを愛していたのだった。マッダレーナは今の窮状を話し、シェニエは死ぬまで守ると、愛の二重唱を歌う。そこに密偵が呼んだジェラールが現れる。ジェラールは彼女を捉えようとするが、シェニエは彼女を逃がし、決闘となる。ジェラールは傷つき、シェニエは逃げる。人々が集まり大騒ぎとなる。
第3幕 革命裁判所の大広間
傷の癒えたジェラールは、フランスの孤立を訴え、人々から献金と志願兵を募る。一人の老婆が現れ、残された孫を兵士として差し出し、人々の涙を誘う。
裁判開廷のため人々は外に出される。密偵が現れ、ジェラールにシェニエ逮捕を知らせる。マッダレーナがそれを知れば、助命に現れるだろうとも告げる。ジェラールは、シェニエの告発文を読みながら、アリア「国を裏切る者」を歌い、革命と自分の愛と混同していることの矛盾を問う。密偵に急かされ、告発状にサインをしたジェラールのもとに、マッダレーナが現れる。
ジェラールは彼女を愛していたことを伝え、彼女の身体を求める。彼女はアリア「母は死に」を歌い、この身体が代償になるならと静かに語る。心打たれたジェラールは、シェニエを救うことを約束する。
裁判が始まる。民衆は次々に死刑を宣告していく。シェニエの番になる。彼はアリア「私は兵士だった」で、自分の愛国心と正義を歌う。ジェラールもシェニエを庇うが、血に飢えた民衆の前にはその声は届かず、シェニエに死刑判決が下る。
第4幕 サン・ラザール刑務所 深夜
面会に来た友人に、シェニエは書きたての詩を読む。アリア「五月の晴れた日のように」。ジェラールがマッダレーナとともに現れる。マッダレーナは看守を買収し、シェニエと同じ日に死刑となる若い女性の身代わりになると告げる。ジェラールは、ロベスピエールに二人の助命に向かう。再会した二人は永遠の愛を誓い、二重唱「あなたのそばで鎮められる」を歌う。その時、死刑執行を告げる太鼓が鳴り響き、死刑囚の名前が呼ばれる。馬車に乗せられた二人は、断頭台へと向かう。

アンドレア・シェニエの公演情報

札幌文化芸術劇場hitaruにて、LCアルモーニカによる公演があります。
2024年1月21日(日)15:00開演
審査委員の三浦安浩先生の演出です。
LCアルモーニカ発足20周年記念オペラ公演「アンドレア・シェニエ」公演詳細ページ
https://armonica.localinfo.jp/posts/48526818?categoryIds=6008677
(2023.12.14追記)

参考CD

参考CD(1)
指揮:フランコ・カプアーナ
アンドレア・シェニエ:マリオ・デル・モナコ
マッダレーナ:レナータ・テバルディ
ジェラール:ジャン・ジャコモ・グエルフィ(第1幕~第3幕)
      アルド・プロッティ(第4幕)他 (1961年録音)
第3回NHKイタリアオペラの目玉として上演されたこのオペラ。もしかしたら、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。多分これが、日本初演ではなかったでしょうか。収録日が分かれているため、ジェラールを二人の名バリトンが務めているのも嬉しいところです。それよりも、主役の二人をよく揃えられたと、感心してしまいます。このデル・モナコテバルディのコンビは、数年前にデッカというイギリスのレコード会社に録音をしていましたので、もしかしたら招聘元のどなたかがそれを知っていたのかもしれませんね。こんな舞台、観てみたかったです。
参考CD(3)
参考CD(2)
指揮:ジュゼッペ・パターネ
アンドレア・シェニエ:ホセ・カレーラス
マッダレーナ:エヴァ・マルトン
ジェラール:ジョルジョ・ザンカナロ 他 (1986年録音)
パターネの生き生きとした音楽づくりに共感できるCDです。ハンガリーのオーケストラや合唱も健闘しています。しかし、このCDの聴きどころは、体当たりのカレーラスの歌唱ではないでしょうか。カレーラスは一時期白血病を患い、闘病生活を余儀なくされましたが、若いころからきちんとした発声を心がけ、闘病後も変わらず無理のない選役を行っていたので、いまだに若々しい声を持っていると思います。闘病前の録音です。
参考CD(5)
番外
指揮:ネッロ・サンティ
アンドレア・シェニエ:プラシド・ドミンゴ
マッダレーナ:ガブリエラ・ベニャチコヴァ
ジェラール:ピエロ・カップッチッリ 他 (1981年収録)
ウィーン国立歌劇場のライヴ収録です。オットー・シェンクの演出のオペラは、だんだん新しいものに変更されていって、残っているのはわずかですが、この演出は、2022年の12月にも上演された名舞台です。絶頂期のドミンゴカップッチッリの絶唱は、ライヴならではのものであり、オペラの神さまネッロ・サンティ(1931-2020)の指揮も豪快そのもの。ウィーン国立歌劇場の専属歌手で、その早すぎる死が惜しまれたテノール山路芳久(1950-1988)さんの歌う姿が収録されているのも嬉しいところです。山路さんは、ウィーン国立歌劇場で、「ドン・パスクアーレ」のエルネストや、「愛の妙薬」のネモリーノなど、主役級のテノールを歌った最初期の日本人テノールでした。
参考CD(6)
その他のオペラの紹介です。

フェドーラ

こちらも、パターネ・カレーラス・マルトンの組み合わせで、ハンガリーのオーケストラの演奏です。下から2番目の「ボレスラオ・ラジンスキー」という役は、「ショパンの甥」という設定で、歌手ではなくピアニストが務めるおもしろい役です。が、実はスパイの役なのです。もちろん歌いません。
参考CD(7)

シベリア

今、旬なソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァがヒロインを歌うCDです。彼女は、この9月に、ローマ歌劇場来日公演でトスカを歌う予定です。
参考CD(8)

マダム・サン=ジェーヌ(無遠慮夫人)

ミレッラ・フレーニ(1935-2020)がヒロインを歌っています。
参考CD(8)