チャイコフスキー作曲「エフゲニー・オネーギン」 Евгений Онегин (歌詞:ロシア語)Vol.2

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(42)】
初演:1879年3月29日(ユリウス暦3月17日) モスクワ マールイ劇場

主な登場人物

登場人物一覧

登場人物相関図

登場人物相関図

あらすじ(つづき)

1820年頃 ロシアの田舎の農村とペテルブルク
第3幕第1場 ペテルブルクのある貴族の邸宅の大広間
数年後。華麗なポロネーズで幕が開く。社交界の大舞踏会。オネーギンは、良心の呵責から海外を放浪していたが、数年ぶりに戻ってきてこの舞踏会に現れた。タチヤーナはグレーミン公爵夫人となり、その優雅な立ち居振る舞いにオネーギンは驚く。公爵はアリア「恋は年齢を問わぬもの」で自分の結婚の経緯を歌う。
第3幕第2場 グレーミン公爵の応接間
タチヤーナはオネーギンからの手紙を持って現れる。分別をなくしたのは、今度はオネーギンの方だった。一度はオネーギンの情熱に圧倒されたタチヤーナだったが、すぐ我に返り永遠の別れを告げて立ち去る。絶望するオネーギン。

豆知識「作曲家の妻」

才色兼備旦那さんを立てる奥さんなんてそうそういるものではありません。「先生のところ?」あ、訊かないでください。
チャイコフスキーの奥さんはなかなかの困ったちゃんだったようです。ちょうど「エフゲニー・オネーギン」の作曲に取り掛かっていた頃、彼はアントニーナ・ミリューコヴァ(1848-1917)と結婚しました。アントニーナが彼と初めて出会ったのは、彼女が16歳、チャイコフスキーが25歳の時と言われています。1873年、彼女は仕事を辞めてまで、チャイコフスキーが教鞭をとるモスクワ音楽院に入学します(いろいろな理由から中退したようです)。入学時、チャイコフスキーは彼女に以前会ったことなど覚えていませんでした。なにしろ彼は、ゲイでしたから。
チャイコフスキーと妻
その後熱狂的に結婚を迫る大量の手紙が彼女から送られてきました。最初は全く相手にしていなかった彼でしたが、「結婚してくれなかったら自殺する」とまで言われるので、チャイコフスキーはとうとう結婚してしまうのです。結婚するにあたり、「自分はゲイだから普通の夫婦生活は送れない」と念を押し、彼女も了承したにもかかわらず夜の関係を迫ったり、ヒステリックで無神経な態度だったり。困り果てた彼はノイローゼになり、自殺騒ぎまで起こします。その結果、数週間の結婚生活には終止符が打たれ、別居生活に入ります。様々な理由から離婚はできませんでしたが、チャイコフスキーは手紙の中で、彼女のヒステリックな性格は、彼女の育った家庭環境にあると綴っています。人づてに別居を告げられたアントニーナは、「愛する彼がそれを望むなら」とあっさり受け入れたといいます。愛し方がちょっと間違っていたんですね。
チャイコフスキーが死んでから彼女は24年生き永らえ、彼との結婚生活についての回顧録を1894年に出版しました。その24年のうち最後の20年ほどは精神病院で過ごしたということです。
クラシックの作曲家の三大悪妻と呼ばれる一人に数えられています。あとの二人は、ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の奥さんと、モーツァルト(1756-1791)の奥さんだそうです。では逆に作曲家のおしどり夫婦といったら誰になるでしょう?先生はロベルト・シューマン(1810-1856)と妻クララ(1819-1896)だと思っています。夫ロベルトの作った曲を各地で演奏した妻クララ。シューマンは46歳という若さで精神を病んで亡くなります。クララは夫ロベルトの死後も夫の曲を演奏し続け、40年後亡くなります。

参考CD

先生はあまりチャイコフスキーを聴かないので参考程度に。ちょっと変わったCDを。
参考CD(1)
指揮:ロヴロ・フォン・マタチッチ
タチヤーナ:セーナ・ユリナッチ
オネーギン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
レンスキー:アントン・デルモータ 他 (1961年録音)
ドイツ語歌唱によるCDです。この時期のドイツやオーストリアの歌劇場は、ロシア語など外国語のオペラをドイツ語で上演するのが普通でした。リートの大家としても知られていたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)。若いころはオペラ公演にも出ています。上手いんです。何をやらせても上手いんです。でもね、どの役をやってもフィッシャー=ディースカウが演じているなってよくわかるんですね。60年前のウィーンの音が聴けて、心地よい録音です。
CD1
参考CD(2)
指揮:ヨーゼフ・カイルベルト
タチヤーナ:インゲボルク・ブレメルト
オネーギン:ヘルマン・プライ
レンスキー:フリッツ・ヴンダーリヒ 他 (1962年録音)
CD2
職人気質の指揮者ヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)の指揮するミュンヘンでの録音です。レンスキーを歌うフリッツ・ヴンダーリヒ(1930-1966)を聴けるのが嬉しいところです。これもドイツ語での歌唱です。ヴンダーリヒと仲の良かったヘルマン・プライ(1929-1998)。二人の出演するオペラなどの録音は、意外に多く残っています。ミュンヘンでは結構オペラ出演も多かった。プライは、フィッシャー=ディースカウに比べると、上手くはないんです。コンサートやオペラでは、出だしはいつも音程が悪いんです。でも、その役になり切っちゃうんですよね。ヴンダーリヒは不慮の事故で急逝してしまいます。この二人の二重唱、聴きたかったなあ。
参考CD(3)
指揮マ:ーク・エルムラー
タチヤーナ:キャサリン・マルフィターノ
オネーギン:ディミトリー・ホロストフスキー
レンスキー:ジュゼッペ・サッバティーニ 他 (1993年録音)
惜しまれつつ亡くなったディミトリー・ホロストフスキー(1962-2017)のオネーギンは、「この役を歌うために生まれてきた」との絶賛を浴びたことがあるだけあって、当たり役です。ロンドンのロイヤル・オペラハウスでのライヴ録音です。この録音から20年後のウィーンでのライヴ録音もあるのですが、あえて西側デビュー間もないころのこの録音を上げておきます。サッバティーニのレンスキーも新鮮。
CD3
2008年の東京二期会での上演は、鬼才ペーター・コンヴィチュニーの演出でした。第2幕最後、決闘でレンスキーは斃れます。ふつうはここで休憩になるのですが、この上演では休憩はなく、オネーギン役の歌手が、レンスキーの遺体を掻き抱いて、第3幕冒頭のポロネーズを踊るのです。これには驚きました。休憩は第2幕第1場の後に入りました。これに比べると、2000年に新国立劇場と藤原歌劇団の共同開催だった公演はまっとうなもので、ボリショイ劇場やロイヤル・オペラハウスでも上演された正統派でした。パータ・ブルチュラーゼの深々とした公爵の声だけが印象深く残っています。
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プログラム1
プログラム2