ジャコモ・プッチーニ作曲 「蝶々夫人」Madama Butterfly(歌詞:イタリア語)vol.1

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(11)】
初  演:1904年2月17日 ミラノ・スカラ座
改訂初演:1904年5月28日 ブレシア テアトロ・グランデ

主な登場人物

登場人物一覧

登場人物相関図

登場人物相関図

あらすじ

明治時代初頭の長崎
第1幕 長崎の丘の上の庭園と奥に小さな家
ピンカートンは、長崎で現地妻を迎えるための家を、解約自由の999年契約で購入した。ゴローはピンカートンに日本家屋の説明をし、女中のスズキや下男を紹介する。
そこへ、結婚式に招かれた領事のシャープレスが息を切らして丘を登ってくる。ピンカートンは飲み物をすすめ、将来アメリカで正式な妻をもらうと「ヤンキーは世界のどこへ行っても」と笑い飛ばす。シャープレスはそのいい加減さに呆れる。さらに100円で妻を買ったと知ったシャープレスは考え直すように諭すが、ピンカートンは聞く耳を持たない。
そこに丘の下から娘たちの歌声が響き、蝶々さんが現れる。シャープレスはあまりに可憐に見える彼女の身の上を尋ねる。その生い立ちの中で、家は昔は栄えたがその後没落し、父は切腹。いたたまれなくなったシャープレスは、蝶々さんに歳を尋ねる。逆に「いくつに見えます?」と無邪気に尋ねた蝶々さんはまだ15歳。同じくらいの年齢のアメリカの子どものことを考えるピンカートンとシャープレス。
蝶々さんのイラスト
そこに親戚一同が到着し、ピンカートンを値踏みする。蝶々さんは、昨日キリスト教に改宗したことをピンカートンに告げ、小さな仏像を捨てる。ゴローの取り仕切りで結婚式へと進む。皆が祝杯をあげているとボンゾが怒鳴り込んできて、キリスト教に改宗した蝶々さんを怒り、神仏の罰が下されると怒鳴り散らす。そして蝶々さんとは絶縁だと告げ、皆を無理やり連れ帰るので祝宴は散会となる。
泣き崩れる蝶々さんをピンカートンは優しく慰め、誰もいなくなった庭園で甘い愛の二重唱「可愛がってくださいね」を歌う。
第2幕 蝶々さんの家
ピンカートンがアメリカに帰国してから早三年。二人の間にできた一人息子を育てながら、蝶々さんは夫の帰りを待っている。スズキはイザナギやイザナミ、天照大神などに祈りをささげている。蝶々さんは、日本の神様よりアメリカの神様にお願いしたほうが願いが叶うという。
スズキが、「ピンカートンが置いていったお金もあとわずか、もう戻ってこないのでは」とつぶやくのでそれをたしなめる蝶々さん。その健気さにスズキはそっと涙をこぼす。蝶々さんはきっと帰ってくるとアリア「ある晴れた日に」を歌う。そこへシャープレスがピンカートンからの手紙をもって現れると、蝶々さんはとても喜ぶ。
そこにゴローに案内されてヤマドリ公爵がやってくる。ヤマドリは、帰ってこないアメリカ人など待っていないで、自分の妻にと誘うが、蝶々夫人は軽くあしらって追い返してしまう。
シャープレスは再び手紙を取り出し、ピンカートンが長崎にやってくると伝える。手紙の二重唱「それでは読みましょう」。あまりにも喜ぶ蝶々さんにシャープレスは、大事なことを伝えることができない。それとなくピンカートンが帰ってこなかったらどうするかと尋ねる。蝶々さんは芸者に戻るか、いっそのこと死ぬと答えるので、シャープレスはヤマドリとの結婚を考えてみてはと言ってしまう。怒り悲しんだ蝶々さんは、ピンカートンとの間に生まれた子どもを連れてくる。シャープレスは子どものことをピンカートンに必ず伝えると言い残し、いたたまれなくって辞する。
そこへスズキがゴローを追い回して現れる。ゴローは、「内縁の子はアメリカでは認められない」と言い放つ。蝶々さんは父の形見の短剣を取り出しゴローを追いかけるので、ほうほうの体で出ていく。
しばらくすると遠くから大砲の音が聞こえる。蝶々さんが望遠鏡を取り出して港を見ると、ピンカートンが乗っている軍艦が入港していた。蝶々さんは喜び部屋に花をまき、スズキとともに花の二重唱「桜の枝をゆすぶって」を歌う。陽が落ち、星が出て、美しい「ハミング・コーラス」が流れる中、蝶々さんのシルエットが写る中、幕となる。

蝶々夫人上演史

静岡県ゆかりのプリマドンナ三浦環(1884-1946)没後50年を記念して始められた静岡国際オペラコンクール。彼女は、蝶々夫人を2000回以上演じ、プッチーニから「蝶々夫人はマダム・ミウラのために書かれたようなものだ」と言わしめたとか。
静岡国際オペラコンクールの公式ウェブサイトには「伝説のプリマドンナ三浦環の軌跡」として、三浦環についてご紹介する特設ページを設けています。静岡県出身の別所哲也さんのナビゲートによる動画も掲載されていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
「伝説のプリマドンナ三浦環の軌跡」へはこちらから↓
「伝説のプリマドンナ三浦環の軌跡」へはこちらから
ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は、彼の作曲したオペラ「トスカ」上演のため1900年ロンドンに滞在していました。新作のアイディア探しをしていた彼は、劇作家デイヴィッド・ベラスコ(1853-1931)の演劇「蝶々夫人」を偶然鑑賞し、慣れない英語上演だったにもかかわらず、心動かされたといいます。観劇後彼は、楽屋のベラスコを訪ね、オペラ化する許可を願い出ました。紆余曲折を経る中、プッチーニは最高の台本作家、ルイージ・イッリカ(1857-1919)とジュゼッペ・ジャコーザ(1847-1906)の二人に台本を書かせます。
作曲にあたりプッチーニは、駐イタリア公使夫人から日本の風習や音楽について教えてもらい、「お江戸日本橋」「さくらさくら」「越後獅子」などの日本の歌を取り入れました。「君が代」アメリカ国歌も、特徴的に使われています。そのような入念な準備を行い、いよいよ1904年2月17日ミラノ・スカラ座での初演。プッチーニの気持ちとは裏腹に、観客は当時まだ馴染みの少なかった日本の風習や音楽に付いていけず、大失敗に終わります。また長すぎる第2幕も問題でした。そこで第2幕を2つに分け3幕仕立てとし、入念な改訂作業の末、再発表。現在の劇場のレパートリーの地位を確立します。
静岡国際オペラコンクールでも、「県民オペラ」として、2002年、2005年、2009年の3回取り上げています。第1回目の蝶々夫人は第2回コンクールで三浦環特別賞を受賞された斉藤紀子さん、第2回目は第3回コンクールの三浦環特別賞の清水知子さん、第3回目は第1回コンクール2位で三浦環特別賞の大岩千穂さんがつとめました。
第2幕で歌われるアリア「ある晴れた日に」(第2回「県民オペラ」より)

「蝶々夫人」の今後の上演案内

ガルバホールでの上演
2021年11月29日(東京都新宿区)
ガルバハールは西新宿にある、とても良い佇まいの小空間ホールです。今回はピアノ伴奏のハイライト上演ですが、アールヌーヴォーの雰囲気漂う「異空間」はオペラ公演にピッタリ。第7回静岡国際オペラコンクール入選の大音絵莉さんが蝶々夫人を演じます。
​ガルバホールHP
https://garba-hall.com/

新国立劇場での上演
2021年12月5日、7日、10日、12日(東京都渋谷区)
栗山民也の安定の演出で、お楽しみいただけます。
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/madamabutterfly/

東京二期会での上演
2022年9月8日、9日、10日、11日 新国立劇場(東京都渋谷区)
2003年に二期会で初演され、以来5回の再演を重ねてきた栗山昌良の演出!
http://www.nikikai.net/lineup/2022shusai.html
 
次回第3幕をお送りします。