グルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」 Orfeo ed Euridice vol.1

【ふじやまのぼる先生のオペラ解説(19)】
初演:1762年10月5日 ウィーン宮廷歌劇場

主な登場人物

登場人物一覧
ギリシャ神話の時代 ギリシャの野原、黄泉の国、天国
オペラが始まる前の物語
 
太陽神アポロと詩の女神カリオペを両親に持つオルフェオは、父から竪琴を与えられ、音楽家として並ぶものはなかった。ニンフエウリディーチェと結婚し、幸せな日々を送っていたが、ある日毒蛇にかまれ、エウリディーチェは絶命する。

あらすじ

祝典の際に上演された作品にふさわしい、華麗な序曲で開幕する。
第1幕 第1場 ギリシャ エウリディーチェの墓の前
若くして亡くなったエウリディーチェの死を悼み、羊飼いやニンフたちが嘆き、墓に花を撒いている。オルフェオは、墓前で「エウリディーチェ!」と叫び、嘆き悲しむばかり。彼は、「皆の嘆きは私を苦しめるので一人にしてほしい」とお願いし、皆は去っていく。一人残ったオルフェオは、アリア「愛しい人を呼んでも」(このアリアは、歌詞や形式を少しずつ変えながら、3回歌われる)を歌い、神々に妻を返してくれるように祈る。そして、どこまででも彼女を取り戻しに行くと訴える。
お墓のイラスト
第1幕 第2場
オルフェオの前に愛の神「アモール」が現れる。愛の神は、「オルフェオの訴えはジュピターにも届き、生きたまま黄泉の国に行って妻を取り戻すことが許された」と告げる。ただし、黄泉の国の住人の心を癒すこと。さらに、愛の神はアリア「見たくても話したくても我慢するのだ」を歌い、黄泉の国から戻るまでは、エウリディーチェを振り返って見てはならない、また、その理由を告げてもいけない、と念を押される。オルフェオは妻を連れ戻す決意をし、稲妻が光り、雷鳴がとどろく中、黄泉の国へと出掛けていく。
第2幕 第1場 黄泉の国の入り口
妖霊たちが不気味な踊りを踊っている。彼らは侵入者があることに気付き、歌いながらオルフェオの周りで不気味な踊りを踊る。オルフェオは自慢の竪琴を取出し「ああ、私を憐れんで」と歌い黄泉の国に入ろうとするが、妖霊たちは「ならぬ!」と答え、「ここは嘆きの地」と追い返す。オルフェオはアリア「悲しみに沈む亡霊たちよ」を歌い、自分も同じように嘆いていると訴える。彼の甘く物悲しい歌は、ついに妖霊たちの心の怒りを和らげる。続けてオルフェオは、アリア「ああ、ほんの一時でも」を歌うと、妖霊たちはついに、オルフェオが冥府に入ることを許し、その姿を消していく。
第2幕 第2場 緑の森の広がるエリュシオンの園
冥府に入ったオルフェオは、アリア「何と澄み切った空」を歌い、園の美しさを讃える。精霊たちはみな幸せそうで、時がゆったり流れている。精霊に導かれ、エウリディーチェが現れる。オルフェオは素早く彼女の手を取り、精霊たちの合唱に見送られながら、足早にエリュシオンの園を出ていく。

二種類の「オルフェオ」

この作品の上演形式は、大きく二つ分けることができます。ウィーンで初演されたイタリア語版と、パリでの上演のためフランス語用に編曲されたフランス語版です。ウィーン初演では、アルト・カストラートがオルフェオを歌いました。
グルックはその後パリに赴き、旧作をフランス語に編曲したり、新しい様式の新作を作曲したりして上演しました。パリではグルックの革新的なオペラ派と伝統的なオペラ派とに二分され、大論争が繰り広げられました。改作第1号として、1774年にパリで、題名をフランス語の「オルフェとウリディス」に改め上演されました。その際に、フランスの伝統に従いバレエを挿入し、いくつかの曲の追加を行われました。パリにはカストラートの習慣がなかったので、オルフェオはテノールによって歌われました。
コンクールとしては、出場者にはウィーンで初演されたイタリア語版で演奏という指定をしています。

自選役

このオペラからは、オルフェオが静岡国際オペラコンクール2次予選自選役リストに含まれています。

豆知識「カストラート」

1994年に「カストラート」という映画が上演されたので、ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。カストラート(castrato)とは、「去勢された歌手」のことです。声変わり前の少年で、美声を持つ者に対し、その声を保つために去勢したと言われています。これにはいろいろな事情があるようです。聖書の解釈により、教会で女性は沈黙しなければならない決まりがあり、聖歌なども少年合唱カストラートがソプラノ・アルトのパートを担当しました。
オペラ歌手となったカストラートは、かなりの報酬を得ていたようです。そのため、下級階層の子どもたちが、親に無理やり去勢させられたケースもあったようです。
有名なカストラートとして、映画「カストラート」の主人公ファリネッリ(1705-1782[本名:カルロ・ブロスキ])、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ(ラルゴ)」で有名な「セルセ」を初演したカッファレッリ(1710-1783[本名:ガエターノ・マヨラーノ])、「オルフェオとエウリディーチェ」初演でオルフェオを歌ったガエターノ・グァダーニ(1729-1792)などがあげられます。
その後「去勢するなんて、人道的にけしからん!」ということになり、カストラートは絶滅しました。カストラートを念頭に書かれた作品は現在、女声が男装して歌ったり、裏声を駆使して歌うカウンターテナーがその役を演じたりしますが、往時の雰囲気を出すことは難しいといわれています。
アレッサンドロ・モレスキ(1858-1922)という最後のカストラートと言われている人の歌声を聞くことができます。が、「ローマの天使」と言われた最盛期の歌声を聞くことはできません。興味のある方はぜひ。おまけに、死の直前のローマ教皇レオ13世(1810-1903)の肉声が納められています(18番トラック)。
カストラートCD

日本で最初に上演されたオペラ

「オルフェオとエウリディーチェ」は、日本で最初に本格的に上演されたオペラです。1903年(明治36年)7月23日、旧奏楽堂でのことでした。本格的といっても、ピアノ伴奏で日本語での上演でしたが、東京音楽学校東京美術学校(両学校は、現在の東京藝術大学の前身にあたります)、東京帝国大学(現在の東京大学)が総力を合わせての公演でした。ここから日本のオペラ史が刻まれていったといっても過言ではありません。その公演で百合姫と呼ばれていたエウリディーチェを演じたのが、当時19歳の、我らが三浦環でした。
三浦環肖像
三浦 環(みうら たまき)
「三浦環」ついて詳しくはこちらから↓
伝説のプリマドンナ 三浦環の軌跡
3幕は次回ご紹介します。