~今月の作曲家~「ヤナーチェク」(2023年7月)その2

【ふじやまのぼる先生の作曲家紹介(19)】

ヤナーチェクのオペラ

ヤナーチェクは生涯に9作のオペラを作曲しています。
作品一覧
以前「利口な女狐の物語」のお話しをしましたね。今回は「イェヌーファ」を取り上げます。
「利口な女狐の物語」または「アイツは賢い女のキツネ」
(オペラコンクールブログ「トリッチ・トラッチ」より)
https://www.suac.ac.jp/opera/blog/2023/02/00186/
「イェヌーファ」は、ガブリエラ・プライソヴァー(1862-1946)による戯曲「彼女の養女」が原作となり、ヤナーチェク自身が作詞したものに作曲しています。チェコ語の原題は「彼女の養女(Její pastorkyňa)」ですが、もっぱら「イェヌーファ(Jenůfa)」と呼ばれています。前作の「物語の始まり」も、プライソヴァーの短編小説を原作としており、2作目となりました。彼女自身は、この戯曲がオペラ向きではないと感じていたようです。ヤナーチェクは、音楽学校の仕事の合間を縫って、10年近くかかって完成させました。最初は「序曲」がありましたが、後に切り離され、「嫉妬」という管弦楽曲として演奏されます。
主な登場人物
登場人物一覧
登場人物相関図
登場人物相関図

「イェヌーファ」

モラヴィア東南部のスロヴァーツコ地方の寒村
第1幕 夏の午後 ブリヤ家の所有する水車小屋の前
裕福なブリヤ家には2人の息子がいた。それぞれ先妻に先立たれ、後妻を迎えていた。息子たちはとうに亡くなり、次男の後妻のみが生き残った。また孫たちは、長男の後妻の連れ子のラツァ、長男の後妻の子シュテヴァ、次男の先妻の娘イェヌーファがいた。イェヌーファは次男の後妻コステルニチカの養女となっていた。
イェヌーファはシュテヴァの子どもを身籠っていた。結婚してほしいとシュテヴァに言うが、彼は本気でイェヌーファを妻にする気はなく、彼女を避けるようになる。イェヌーファは、シュテヴァが兵役に就いて、結婚できなくなったらどうしようと本気で心配している。そんな状況を横目で見ていたのがラツァだった。連れ子ということで、一段低くみられ、年下のシュテヴァに使われる。本当はイェヌーファのことが好きなのに、邪険に扱ってしまう。いっそ、シュテヴァが兵隊に行ってしまえばいいのにと毒づく。残念ながらシュテヴァは兵役免除となり、イェヌーファは喜ぶ。現れたコステルニチカにそのことを話すイェヌーファだったが、コステルニチカは残念そうな様子で家に入る。
そこへ酔っぱらったシュテヴァが現れる。イェヌーファにたしなめられるが、彼は「金もあるし、もてるから」と言って取り合わず、金をばらまいて大騒ぎを始める。現れたコステルニチカは怒り、「酒癖を治し1年間まじめに働けなければ、結婚は許さない」と言い放つ。おばあさんは「悪い仲間が誘うのだろう」とシュテヴァに甘く、イェヌーファには「泣くんじゃない」と手厳しい。皆が去ると、改めてイェヌーファはシュテヴァに結婚してと訴えるが、コステルニチカの手前、調子のいいことを言うだけ言って相手にせず、去ってしまう。
シュテヴァが去ると、ラツァがシュテヴァのことを言うので、イェヌーファは「あの人の方があなたより100倍もましだわ」という。ラツァは彼女を抱きしめようとするが、イェヌーファは嫌がる。二人がもつれているうちに、ラツァが持っていたナイフで、イェヌーファのほほを切ってしまう。悲鳴を聞きつけ皆が現れ大騒ぎになると、ラツァは「小さい時からイェヌーファに好意を持っていた」と打ち明け、キスをしようとして、あやまって切ってしまったと告げる。
第2幕 第1幕から五ヶ月後、真冬 コステルニチカの家
一週間前に、イェヌーファはシュテヴァとの男の子を産む。コステルニチカはスキャンダルを恐れて、「イェヌーファはウィーンに住み込みの仕事に行った」と周囲に告げ、自分の家で密かに出産させたのだった。コステルニチカは、疲れ切ったイェヌーファに薬を与えて、眠らせる。
赤ちゃんのイラスト
イェヌーファが眠っている間に、コステルニチカから呼び出されたシュテヴァがやって来る。コステルニチカからイェヌーファと結婚して安心させてほしいと頼まれるが、シュテヴァは「金は出すが結婚はできない、子どもの父が自分だと言うことを秘密にしてほしい」と懇願し、ほほに傷のある娘への恋は冷めたと言い放つ。すでにシュテヴァは村長の娘カロルカと婚約していたのだ。
逃げるようにシュテヴァが去ると、入れ替わりにラツァがやって来る。自分のしたことを悔いているラツァは、イェヌーファと結婚させてくれと懇願する。コステルニチカは、「イェヌーファは、シュテヴァの子どもを産んだ」と告げられると、ラツァは思い悩む。しかしその子は死んだと告げられ、少ししたらまたおいでと言われ、ラツァは去る。その後、コステルニチカは子どもを殺す決意をし、出掛けていく。
目覚めたイェヌーファは、コステルニチカと子どもがいないことを心配し、聖母マリアに祈りを捧げる。帰ってきたコステルニチカは「イェヌーファが眠っている間に子どもは死んでしまった」と打ち明ける。悲しみに沈むイェヌーファ。コステルニチカは、シュテヴァは結婚する気がなく、ラツァは結婚してもいいと言っていることを話す。ラツァが戻ってくるので、イェヌーファはその愛を受け入れる。コステルニチカは「死神がのぞき込んでいる」と、良心の呵責から吹く風にも怯える。
第3幕 第2幕から二ヶ月後、春先 コステルニチカの家
イェヌーファとラツァの結婚式の朝。コステルニチカは晴れがましい気持ちもあるが、良心の呵責からか体調は優れず、村長夫妻が来ても怯える始末。新郎新婦は仲睦まじい様子。いやなことはすべて忘れようと、ラツァはシュテヴァも式に呼んであると告げ、カロルカと一緒にシュテヴァが祝福にやって来る。皆が祝福の歌を歌う。
その時、凍った川から赤ちゃんの死体が見つかったとの知らせが入る。見に行ったイェヌーファは、身に着けていた服から自分とシュテヴァの子だと告げる。皆はイェヌーファが殺したと思い込み、彼女に石を投げようとする。そこにコステルニチカが、「殺したのは私!」と告げ、イェヌーファが眠っている間に冷たい川に投げ捨てたと告白する。人々は驚き、カロルカはシュテヴァとの婚約を解消すると言い、母親と家へ帰ってしまう。イェヌーファは最後までコステルニチカのことを思いやり、救世主が悔い改める道を示してくれるだろうと告げ、コステルニチカは村長に連れられて行く。
皆が去り、ラツァとイェヌーファが二人だけになる。イェヌーファは、「あなたも行きなさい」と告げるが、ラツァは、どんな困難にも二人でなら耐えられると言い、イェヌーファは改めてその愛を受け入れる。
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前回、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」を初めて聴いた、高校生の時の先生の話をしましたね。ヤナーチェクのオペラを初めて観たのは、2000年の東京交響楽団がセミ・ステージ上演(一部演技を付けた上演)を行った「カーチャ・カバノヴァー」でした。どっぷりはまるという感じではなかったですが、その後東京交響楽団での公演には、2003年の「死者の家から」と、2006年の「マクロプロス事件(『マクロプロスの秘事』と題されていました)を聴きました。
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プログラム1
忘れてはならないのは、2001年に松本の「サイトウ・キネン・フェスティバル」で上演された「イェヌーファ」です。最終場面、二人だけになった場面のステージが今でも忘れられません。
(クリックで拡大表示)
プログラム2
2008年には、日生劇場(開場45周年記念)と東京二期会がステージ上演として、「マクロプロス事件(『マクロプロス家の事』と題されていました)」を、チェコ語上演するという快挙を成し遂げました。先生の記憶が間違っていなければ、途中から天皇皇后両陛下(現上皇上皇后陛下)が鑑賞にいらしたと思います。チェコ語上演ということで、プロンプターの方は大活躍で、その声が、2階の後ろの方の席に座っていた先生の耳にもよく聞こえてきました。でもそんなことは度外視して、非常に感動したことを覚えています。
オペラのお仕事「プロンプター」とは?
(オペラコンクールブログ「トリッチ・トラッチ」より)
https://www.suac.ac.jp/opera/blog/2021/12/00090/
プログラム3
新国立劇場でも「イェヌーファ」上演があり、ヤナーチェクのオペラも取り上げられるようになりましたが、なかなかメジャーな地位を獲得するまでには至っていません。しかし、ヤナーチェクのオペラの啓蒙に一役買ったのが、指揮者のサー・チャールズ・マッケラス(1925-2010)です。アメリア生まれでオーストラリアの指揮者のマッケラスは、幅広いレパートリーを持つ指揮者ですが、プラハに留学した経験からか、ヤナーチェクのオペラ5作品を、ウィーン・フィルと録音。チェコの優秀な若手歌手の起用や、ヤナーチェクの本来の姿での録音が、注目を集めました。また、「イェヌーファ」のCDには、オペラには使用されなくなった序曲「嫉妬」のほか、オペラの最後の部分は、ヤナーチェクのオリジナルの他に、コヴァジョヴィツによる改訂版も収められており、聴き比べができるようになっています。
プログラム4

その他のCD紹介

「運命」
参考CD(1)
「ブロウチェク氏の旅」
参考CD(2)
「カーチャ・カバノヴァー」
参考CD(3)

「利口な女狐の物語」

参考CD(3)
「利口な女狐の物語」(オペラコンクールブログ「トリッチ・トラッチ」より)
https://www.suac.ac.jp/opera/blog/2023/02/00186/
マッケラスがウィーン・フィルと録音したCD
参考CD(4)
マッケラスは年代順に「カーチャ・カバノヴァー」(1976年録音)、「マクロプロス事件」(1978年録音)、「死者の家から」(1980年録音)、「利口な女狐の物語」(1981年録音)、「イェヌーファ」(1982年録音)と、5つのヤナーチェクのオペラを録音しています。死後50年もたっていない作曲家のオペラを、立て続けに録音するには、演奏家の情熱だけではできません。プロデューサーの英断もあった事でしょう。LPにはありませんでしたが、CD化される際に、マッケラスや他の指揮者によるヤナーチェクの作品が収められているのも嬉しいところです。