沿革
年表
平成10年 | 9月 | 文部大臣へ学校法人設立及び大学設置認可申請 | ||
平成11年 | 6月 | 学校法人設立及び大学設置認可第2次申請 | ||
12月 |
文部大臣から学校法人設立及び大学設置認可
学校法人静岡文化芸術大学設立
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平成12年 | 4月 |
開学(4月13日に開学式典及び入学式を挙行)
木村尚三郎学長 就任(平成18年10月まで)
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平成15年 | 6月 | 文部科学大臣へ大学院設置許可申請 | ||
11月 | 文部科学大臣から大学院設置認可 | |||
平成16年 | 1月 | 大学院入学試験開始 | ||
3月 | 大学一期生卒業 | |||
4月 | 大学院開学 | |||
平成18年 | 3月 | 大学院一期生卒業 | ||
4月 | デザイン学部技術造形学科をメディア造形学科に名称変更 | |||
平成19年 | 4月 | 川勝平太学長 就任(平成21年6月まで) | ||
平成22年 | 1月 | 熊倉功夫学長 就任(平成28年3月まで) | ||
4月 |
学校法人から静岡県設立の公立大学法人へ移行
有馬朗人理事長 就任
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10月 | 創立10周年記念式典開催 | |||
平成27年 | 4月 | デザイン学部3学科をデザイン学科1学科に再編し、新たに5領域を設定 | ||
平成28年 | 4月 | 横山俊夫学長 就任 | ||
平成30年 | 4月 | フェアトレード大学認定(アジア初) | ||
平成31年 | 4月 | 文化政策学部に「文明観光学コース」、デザイン学部に「匠領域」を設置 | ||
令和2年 | 7月 | 創立20周年記事業開催(記念式典は中止) | ||
令和4年 | 4月 | 横山俊夫理事長兼学長 就任 |
設置経緯
平成4年 | 4月 | 静岡県知事が県立短大の建て替えについて発言 「建物の老朽化、敷地の狭隘化」 |
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12月 | 県立大学短期大学部の4年制化について要望 「浜松市長・議長・商工会議所会頭の連名で知事あて要望書を提出」 |
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平成5年 | 6月 | 静岡県高等教育懇談会の発足 「静岡県の高等教育機関のあり方を踏まえた短期大学部の将来構想の検討」 |
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平成6年 | 2月 | 県議会知事答弁 「短期大学部を基礎として新しい4年制大学を整備する」 静岡県高等教育懇談会の提言(座長:大石益光) 「静岡県における高等教育機関の整備充実について」 |
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4月 | 市長、議長、商工会議所会頭連名で県知事へ要望 「静岡県立大学短期大学部を基礎とした新設大学の整備について」 |
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8月 | 新大学構想検討委員会の発足(委員21名、会長高坂正堯京大教授) | |||
平成7年 | 3月 | 新大学構想検討委員会から知事へ報告 「新しい4年制大学整備の基本的方向について」 |
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4月 | 知事定例記者会見 新大学の学長予定者(高坂正堯京大教授)を発表 |
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9月 | 新大学整備について地元説明会 新大学整備基本構想の発表 「設置場所を東第二土地区画整理事業区域とし、H12年4月に開学」 |
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12月 | 静岡県西部地域新大学開学準備委員会発足(会長高坂京大教授) | |||
平成8年 | 4月 | 市議会総務水道委員会・大学設置促進特別委員会に新大学整備について経過報告 | ||
5月 | 学長予定者 高坂正堯氏ご逝去 | |||
6月 | 学長予定者に木村尚三郎東大名誉教授決定 静岡県西部地域新大学設計協議審査委員会発足 |
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12月 | 市議会報告 「新大学指名設計競技の入選案、事業費負担協議の合意」 |
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平成9年 | 6月 | 県議会知事答弁 「新大学の名称を「静岡文化芸術大学」に決定」 |
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平成10年 | 3月 | (財)静岡文化芸術大学設立準備財団設立 | ||
5月 | 浜松市内に財団事務所分室開設 | |||
6月 | 建設工事 安全祈願祭 | |||
9月 | 文部科学大臣へ学校法人設立及び大学設置認可申請 | |||
平成11年 | 4月 | 財団事務所を浜松へ移転 | ||
6月 | 学校法人設立及び大学設置認可第2次申請 | |||
12月 | 文部科学大臣から学校法人設立及び大学設置認可 学校法人静岡文化芸術大学設立 |
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平成12年 | 1月 | 入学試験開始 | ||
2月 | 建設工事竣工 | |||
4月 | 開学(4月13日に開学式典及び入学式を挙行) |