教員紹介

野島那津子先生写真

野島 那津子NOJIMA Natsuko

准教授

  • 文化政策学部 文化政策学科
  • 大学院 文化政策研究科
キーワード:
社会的排除、社会的振り分け、病いの語り、「論争中の病」、「給付金のたかり屋」
出身地 大阪府
学歴 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了
学位 博士(人間科学)(大阪大学、2018年)
経歴 日本学術振興会 特別研究員(DC2)(2014年から2016年)
日本学術振興会 特別研究員(PD)(2016年から2018年)
大阪大学大学院人間科学研究科 助教(2018年から2021年)
石巻専修大学人間学部人間文化学科 准教授(2021年から2023年)
静岡文化芸術大学 准教授(2023年から)
資格 専門社会調査士(2012年)
担当授業分野 社会学、社会理論、多様性と社会的包摂、他
研究分野 医療社会学、福祉社会論
研究テーマ 病いの語りの物質的基盤、「給付金のたかり屋」言説にみる病者・障害者の表象
研究業績 著書
  • 『ニューロ:新しい脳科学と心のマネジメント』(翻訳、檜垣立哉監訳、法政大学出版局、2023年)
  • 『診断の社会学 : 「論争中の病」を患うということ』(単著、慶應義塾大学出版会、2021年)
  • 『シリーズ人間科学5 病む』(分担執筆、大阪大学出版会、2020年)
  • 『開かれた対話と未来:今この瞬間に他者を思いやる』(翻訳、斎藤環監訳、医学書院、2019年)
論文・解説
  • 「『論争中の病』の表象の変遷 : 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群に関するNHK のテレビ番組の分析から」(単著、『年報人間科学』第40号、2019年)
  • 「『論争中の病』の当事者の語りにみる希望と生物医学 : 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と線維筋痛症の事例から」(単著、『年報科学・技術・社会』第27巻、2018年)
  • 「『探求の語り』再考 : 病気を『受け入れていない』線維筋痛症患者の語りを通して」(単著、『社会学評論』第69巻第1号、2018年)
  • 「診断のパラドックス : 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群及び線維筋痛症を患う人々における診断の効果と限界」(単著、『保健医療社会学論集』第27巻第2号、2017年)
  • 「十分に医療化されていない疾患を患うことの困難と診断の効果 : 痙攣性発声障害を患う人々の語りから」(単著、『ソシオロジ』第59巻第3号、2015年)
  • 「『病気』と見なされにくい病を生きることの困難 : 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の病気行動に着目して」(単著、『家計経済研究』第104号、2014年)
  • 「Medically Unexplained Symptomsにみる診断のポリティクス」(単著、『年報人間科学』第34号、2013年)
受賞歴 第11回日本保健医療社会学会奨励賞(園田賞)(2017年)
所属学会・団体 日本社会学会、日本保健医療社会学会、ソシオロジ(社会学研究会)、日本メディア学会

メッセージ

病者・障害者を中心としたマイノリティをめぐる社会的処遇や社会的状況に関心を持っています。これまで主に、「論争中の病」と呼ばれる医学的にも社会的にも「病気」と見なされていない/見なされにくい病について、当事者へのインタビューを通して医療社会学の観点から研究を行ってきました。また、イギリスにおける「給付金のたかり屋」言説について、監視社会論の観点から分析を進め、病者・障害者がどのようにして合理的に差別されうるのかを研究しています。

これらの研究は、社会的排除という問題系に連なるものです。社会的排除とは、貧困の多次元的・動態的なプロセスを捉えるためにヨーロッパで提起された概念です。経済的な問題だけではなく、共同体への参加の機会等、社会のメンバーシップにかかわる問題を扱います。社会的排除の対義語として社会的包摂がありますが、こちらは政策的な概念で、日本でも「多様性」や「共生」といった言葉と合わせて、自治体やその他諸々の組織の理念として掲げられることが珍しくありません。社会的包摂という概念は、深く知ることなくそれに触れると、とても素晴らしいものに思えますが、実はさまざまな議論があり問題があります。詳しくは多くの優れた専門書に譲りますが、私がとくに懸念しているのは、「包摂」の名のもとに行われる「合理的な差別」です。

「多様性」が叫ばれる現代社会において、その実、私たちはマイノリティの人々をより選別的に評価するようになってきています。たとえば、生活保護の不正受給に関する報道が出ると、「本当に困っている人がいるのに許せない」と憤る人がいます。しかし、「本当に困っている人」とはいったい誰のことでしょうか?どのような生活をしている人が「本当に困っている人」で、どのような人が「本当は困っていない人」なのでしょうか?そもそも、なぜその人は「本当に困っている人」とそうでない人を識別できるのでしょうか?

こうしたことは、社会的包摂概念が浸透する以前から生じていたかもしれません。しかし、今この時代において、「多様性」や「共生」に「疲れた」マジョリティが、社会的に包摂すべき人と包摂すべきでない人との選別に積極的に参与していると思われる事例は、枚挙に暇がありません。こうした選別への主体的参与のプロセスや、マジョリティとマイノリティの権力関係、選別される側の現状や対抗戦略について考え続けていきたいと思います。